人間の欲望に限りはないのでしょうか
私の父親についてです。
先日、父が高級腕時計を購入しました。
何年も前から自分の少ない小遣いを積立て、少しづつ貯金してやっとたまったお金で購入しました。
私も経緯は知っていましたから、長い間よくがんばったなあと一緒になって喜びました。
ところがです。
高級腕時計を購入したばかりなのに、また別の腕時計をローンで買いました。
毎月けっこうな額がひかれます。
そのことが母にばれ、母は鬼のように怒り狂い家をでて妹の家にいってしまいました。
人のお金の使い方なので、私がとやかくいうのも筋違いかもしれませんが、
なぜ腕時計一本で我慢できないのでしょうか。
我慢というのもおかしないい方です。
一本でも充分なのに、なぜもう一本欲しいと思うのでしょうか。
二本持ったら、三本目が欲しくなってしまうのでしょうか。
人間の欲望というのは限りないものなのでしょうか。
私も凡人ですので、あまりえらそうなことはいえませんが、
仏様は物欲について、どのようにおっしゃっているのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
諸行無常
買い物が止められなくて苦しむ人もいれば、買いたい物が思い浮かばない自分に悩む人もいます。人とはそういうものです。
仏様は「私たちは無常である」とおっしゃりました。
無常だから買う意味がない…ということをお伝えしたいのではありません。人は1秒1秒、全く違う人なのだということです。
辛抱強く積み立てをしていたお父様、一本目の時計を買ったお父様、二本目の時計を買ったお父様、妻に出て行かれたお父様、今、どこかで何かをしているお父様、明日のお父様、その時その時で常に変化しています。そのお父様を先入観なく見ましょう。そして先入観なしにお父様の口から話を聴いてみましょう。このような時はお酒の力を借りて聴いてみるのも良いかもしれませんね。
足るを知れ
お聞きになったことはあるでしょうか。「足るを知れ」。「我々、すでに足りているのだ。そこに気づけよ」という。
欲については、よく「海水を飲む」の例えがひかれます。メカニズム的には合致しないのですが、「海水を飲むと、益々喉が乾く」というやつです。
私の父である住職も、最近はやたらと仏像を求めてきます。浄土宗のお寺なのに、お釈迦様ばかりを。
「最高の物を求めよ。他の一切の物が下らなく見えるほどの」というお話もあったような気がします。「では、その最高の物とは何ですか?」「うん、それは仏様がお説きになった教えだよ」という話もあったような気がします…。いずれにせよ、物はいつか壊れます。
質問者からのお礼
色々と気付かされました。
本当にありがとうございます。
まだ母はかえってきていませんが(笑)