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輪廻からの解脱

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有り難し有り難し 8

回転寿司が大好きで週に一度は食べに行っています。

そこで、hasunohaの左上のロゴの類似であるホッキ貝より、味は赤にし貝、歯ごたえはつぶ貝が好きだなと気づきました。
気付いたんですが、ホッキ貝も食べますし、赤にし貝やつぶ貝のみ食べるという事をしませんでした。
そして回転するベルトコンベアを見て、自分の輪廻からの解脱は本当に難しいなと感じました。

今回の『輪廻』の定義は死んだ後の話ではなく、
『執着する限り何度でも苦が繰り返される、因果応報としての輪廻』です。
(本を見たりネットで調べたり人に聞いたりしたわけではなく、毎日自問自答しているうちに『生きているうちにも輪廻している』と気づきましたので、これは仏教やブッディズムでいう輪廻ではない、というご意見もあろうかと思いますが、その場合は正しい言葉を教えていただければ有り難いです)

気付いてもなかなかやめられない、そして心に余裕がなくなったら外的要因のせいにしている自分の心がいます。

ダンマパダや七仏通誡偈の中に、
諸悪莫作(サッバパーパッサアカラナン)
衆善奉行(クサラッサウパサンパダー)
自浄其意(サチッタパリヨーダパナン)
是諸仏教(エータンブッダーナサーサナン)

がありますが、白楽天に言った道林禅師の『3歳の子供でも分かるが80歳の老人にもできない』という偈に自分の経験を当てはめて痛感しております。

僧侶の皆様は忘れてしまったらしょうがないのですが、忘れてしまいそうなときはどのようにして忘れないようにしていますか。
(忘れてしまいそうなときは忘れていないから、忘れることはない、という答えもあるでしょうが)

苦の輪廻を寿司で例えると味にアクセントを与えるワサビ(たまに多くつけすぎたり少なくつけたりして苦しむがちょうどよい辛さを探している)だと、勘違いしている自分がいるのかな? と迷ってしまっています。
いや、違う。ただ何も考えてないだけですね。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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ひろ様

久しぶりにhasunoha を訪れ、ふと目に止まったのでお便り致します。

仰るとおり、私も輪廻というのは死後のことではなく、日常の中でのクローズドサーキットだと思っております。
私もかなり長い年月の間、苦しんで来たポイントでもありますが、一気にそこから抜けることはないだろうというのが最近深く感じていることです。
同じパターンを繰り返すというのは、一方では生を維持するホメオスタシスにも関連していることかもしれません。
そして、釈尊が到達したような完全なる完成は、到底あり得ないかもしれないとも感じています。私にできることは、それに気づき、それを離れることの繰り返しではないかと思えるのです。それこそを輪廻というのかもしれませんが、しかし繰り返しながらも螺旋を描くように1mmづつでも進歩しているかもしれないのです。この世界において、いったい完成とはあるのでしょうか?
気づくためのパスワード設定をお勧めします。浄土宗では、自分と自分の思いのと間に南無阿弥陀を差し挟むということを致します。自分の思いは自分自身ではなく、自分の中に沸き起こる思いであり、私のこの身体も「私の身体」であって、私自身ではないことに気づく大きな助けとなります。繰り返しと思っていることはすでに過去の現象です。その都度その都度、思いを手放して行くのが道ではないでしょうか、
また呼吸法もとても優れた道へと導いてくれますのでご参考までに⇒
http://shukai.seesaa.net/s/article/190960250.html
河野秀海拝

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有り難し
おきもち

・浄土宗僧侶(元浄土宗寺院副住職:実家大阪市浄土宗天龍院千代田別院普請中)...
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質問者からのお礼

>>河野秀海様
お返事ありがとうございます。
確かに、その都度その都度、気づいたときに手放していくしかないですね。
『自分はかなり進んだな』と思って振り向けばほとんど進んでおらず、
『自分はまだそんなに進んでいないかな』と思ってみたらやっぱりほとんど進んでおらず、
『自分はどれくらい進んだかな』と思って振り返ってもほとんど進んでいない。
そんなことを思っているうちはまだまだ修行が足らないという事ですね。
過去の自分はそこにはおらず未来の自分もそこにはおらず、ただ今ここに在るのみですね。

そういえば兼好法師が徒然草で、生きた時代が違う法然上人について書いた文を思い出しました。

『徒然草(意訳)』
  ある人が法然上人に
 「念仏をしている時、居眠りしてしまうのですが、どーしたら良いですか?」
  と質問したら、上人は
 「目が覚めたら、念仏しなされ」
  と答えられたそうだ。とっても偉いと思う。

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