誰かを傷つけてないか心配です。回答受付中
強迫性障害を患っています。
車に数年前から傷がありリアバンパーの助手席側の角の部分に後ろから剃ったような傷があり一部は塗装が剥げています。
人様の建物や柱や壁にぶつけていたら耐久性に影響があり地震の時に崩れてしまうのではないかと不安になります。
家族はいい加減自分を許しなさいと言ってくれます。覚えのない傷なので私も音も衝撃も覚えがなかったので忘れようとしてもダメでした。
仮に前述したとおりに建物に当たっていて人様を地震で建物が崩れて間接的に死なせてしまったら来世にどう影響するのでしょうか?
私は輪廻転生を信じていて前世の罪は来世に帰ってくるのでしょうか?
私はどう生きて行けば良いのでしょうか?
自分勝手な質問で申し訳ございません。
回答を頂けると幸いです。
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
まず修理
車の修理はされましたか?あなたの特性のことを考えると、「一つのことばかりに気を取られているのは良くない」と感じます。心配に繋がる現実は、さっさと対応しましょう。
先ずは目に見えるところから、というわけです。
そして、お尋ねの「来世にどう影響するでしょうか」ですが、正直分かりません。というのは、輪廻転生において影響を発揮するのは、これだけではないからです。
そこでおすすめは二つ。
①気がついた時、さらにできそうな時には、積極的に「良いこと」をしましょう。『羅生門』という話でも、「人生、悪いことばかりしてきたと思っていたけれど、良いこともやった。それはプラスとして来世に評価される可能性がある」という考えが述べられています。どの道「悪いことゼロ」では生きられないのがこの世ですから、差し引きを狙おう、というわけです。
②懺悔文を唱えましょう。短いお経です。「自分が気づいている罪も、そうでないものも、一切を懺悔します」というもの。私たちは「気づかないまま悪いことをしてしまっている」のは大変よくあることなのです。今日の約束を守れないかも知れない。食事で命をいただいている。出かけた時に虫を踏んづけているかも。誰かを困らせるかも知れない。
懺悔文は、「自分が気づかないこともある」と認めた上で、それまでひっくるめて対象にしてる言葉です。私たち坊さんも、朝のお勤めで…つまり一日一回は唱えています。
あと仏教は、実のところ「輪廻転生から逃れる」ことを目指す教えです。もう(この世に)生まれ変わらない。私たち浄土宗だったら「次に生まれるのは極楽」というわけです。この辺り、ご希望があれば詳しくお伝えしますよ。そして坊さんならではの話ができるのも、まさにこの部分です。
ということで、具体的な対応を2つプラスワンお伝えしました。どれか「できそう」というものはありましたか?「賭けてみよう」と思える提案はあったでしょうか。
頭の中にある不安は、実のところ行動で変化してゆくことが多いです。これを読んで「分かった」というだけではダメ。体を使ってやってみて、それが頭に影響を及ぼすことを体験してみてほしいです。
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。まず自分にできることは善行を積むことと、日々に感謝をしていきます。