解脱する方法は確立されていますか?
私には、「もう二度と人に生まれたくない」という、漠然とした、でも強烈な願望があります。
生まれ変わった自分は今の自分とは関係のない赤の他人であり、そんなことを気にする必要はない、なぜそのような悲しいことを考えるのか、もっと楽しく生きなさい
なんてことを言われたりするのですが、むしろなぜ他のみんなはそう考えないのだろうと思うくらい
私にとっては本当に強く願っていることが「もう絶対に、絶対に生まれてこないこと」です。
仏教には輪廻転生の考え方があり、その輪から外れる方法が解脱だと聞き齧りました。
まだ仏教について何も知らない人間の質問で大変恐縮なのですが、
つまり解脱することができれば、もう命として何かに宿ることは二度とないのでしょうか。
私にはそれがとても魅力的なことに感じます。そこで、解脱の方法とは、こうである、と言うものが確立されているのであれば教えていただきたいです。
でもきっと、そんな簡単な、うまい話はないのだろうとも思いますし、この質問自体どこかズレているのかもしれません。
もし回答できるものではないのだとしたら、自己研鑽として、仏教について学びたいとも考えておりますので、何も知らない人間がまず手始めになにをすべきかを教えていただけますと幸いです。
このような場を設けていただいていること、質問のご縁をいただけたことに感謝致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「出離心」
輪廻の苦を厭い、この輪廻から逃れたいという志は「出離心」と申しまして、「菩提心」と共に大切なものとなります。
輪廻に生まれるのには、もちろん原因があります。
「業」であります。「有漏」と申しまして、まあ、心の汚れとお考えください。
「業」により、その結果として輪廻して苦しむことになるのであります。
ですから、「業」を清らかにすれば、つまり、「無漏」となれば輪廻に生まれる原因を断つことができることになります。
「業」を清らかにする教えが仏教となります。
大乗仏教であれば、六波羅蜜の実践となります。
「出離心」を持たれました今、まさに仏道に入る良き機縁でございます。
大変に尊いことでございます。
合掌
真理を悟って煩悩を滅する
私たちを輪廻転生に縛りつけている原因は、欲、怒り、無明(むみょう)などの煩悩です。
煩悩を滅すれば輪廻から解脱できます。
煩悩を滅するとは、苦・無常・無我という真理を悟ることです。
では、真理を悟り輪廻から解脱する方法は?
それは、戒(生活習慣の修行)、
定(禅定。精神集中の修行、サマタ瞑想)、
慧(智慧。真理を観察する修行、ヴィパッサナー瞑想)
の三学を修めることです。
ところがそれがなかなか難しいのです。
浄土宗では、この世で三学をマスターするのが難しいので、とりあえず極楽浄土に往生して、修行しやすい極楽浄土で三学を究めようと考えます。
この世では、南無阿弥陀仏と念仏を称(とな)えておけば良い。
念仏していれば来世は極楽浄土。
極楽浄土で煩悩を滅して輪廻転生から解脱可能、と浄土宗では考えます。
だから、まずは南無阿弥陀仏、
なむあみだぶなむあみだぶ
なむあみだぶなむあみだぶ
と念仏を称(とな)えることが解脱への近道だと、浄土宗では考えます。
解脱する方法は確立されています
釈尊が解脱し、その方法を弟子たちに教えたのですから、釈尊の教えが残っている現代なら、まだいくらでも解脱できます。
欲や怒りを減らしたりなくしたりすることを頑張るのは、第二ステップです。
まず第一に、「私」がいるわけではないのだと気づくと、解脱の階梯に入ります。
身口意で善悪業をし、その結果を受けながら新たに善悪業をし、この命終わって、まだ何か足りないという渇愛があれば、次に生まれてしまいます。善が多くて善い境涯に生まれても、では次は?と考えると、人間に生まれたからには解脱を目指すのが一番です。
私がいるわけではないと気づくには、二種類の方法があります。一つはヴィパッサナー修行。「私」とは本当は瞬間ごとに生滅を繰り返す心身の連続だ、実体はないのだ、と発見するために、心の移り変わりや体の感覚を、ただ、観察し続けます。
もう一つは、ブッダの教えを学んで納得すること。真理は無常で苦で無我だと、釈尊が教えています。その意味を、本当に理解したら、それもまた「私」がいるわけではないという納得に繋がります。解脱の仲間入りができます。
詳しくは、日本語で平易に解き明かしているスマナサーラ長老の本や説法(youtube)がいっぱいあります。気になるものから手あたり次第触れてみてください。
質問者からのお礼
この度はお礼が遅くなり申し訳ございません。全て拝読させていただきました。貴重なお話をありがとうございます。