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希望を完全に捨て去るには

回答数回答 1
有り難し有り難し 19

全身が焼け爛れ、死ぬに死ねない苦痛を味わいながら生きる。
存在を祝福されず、自らの身を守る術の無いまま虐待される。
暴行。罵倒。過酷な労働。嗜虐。差別。
生きたまま腹から喰われる。引きちぎられる。潰される。
ただ歩いているだけで足を吹き飛ばされ、腕をもがれ、目を潰され、耳をそぎ落とされる。
知らぬ間に袋小路に追い詰められる。生き残れるかどうかは自分ではなく誰かが決める。

この世界に存在するありとあらゆる苦痛は、いつかは自分の身にも降りかかるという前提で生きています。
仮に今生において平和に終えられたとしても、次に与えられる意識ではどうなるか分かりません。
今生においても、最早平穏な生はどこにもないのではと思います。

痛みや絶望が避けられないものであるならば、どう生きればよいのでしょうか。
一切の希望を捨て、それでも生きていくにはどうすればよいのでしょうか。
今すぐにも破滅が訪れようとしているなかで、どうしたら正気を保てるでしょうか。
こんな世界で何を信じればよいのでしょうか、あるいは何も信じないほうがよいのでしょうか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

それでも、命ある限り、生きなけれなりません。。。。

私自身の事ですが、中学三年生の時に、目の前で 本堂が焼け落ちました。。。

火の中に飛び込んだが、どうしようも無かった。。。。

今で言われる事が続きますが。。 周りのお寺から、

何故生きているんだ、

自分なら、火の中に飛び込んで、本尊を、守った。

死んで詫びろ、

保険金の為に火をつけたのだろう。。

死ぬ事もできないのか。

その時も、死んでも死ねませんでした。。。。

耐えられなく、高校を辞めて、働いた先で知り合った女性が、事故で、物言わぬ姿と成りました。。。

お寺に戻り、本堂再建と思い、ためたお金を、騙し取られました。。。。

数数えられないほどの悪い事しかありませんでした。

死のうとしても、死ねない苦しみ。

一切皆苦 ですね。

ただ、命取られる以外は、かすり傷 だと、思うようになり、どんなことでも、風に任せ、風に逆らわない、生き方を、するようになって、やっと、苦しみを受け止めることが、少しずつ出来るようになりました。

地獄を見てきたと思っていましたが、もっともっと苦しんでいる方がいるのだと。

例え、この世が無くなろうとも、ただ、受け入れるだけ

受け入れる事は、出来ますよ。

もがく事が出来るのですから、受けいる事は、出来ますよ。

これでもか、これでもか、これでもかと、泥を舐め、這いずって来ました。。

もっと、苦しんでいる人も、いました。

恨むことができる事は、まだ、幸せです。

命ある限り。。

素晴らしいです、それが分かる事こそ。。

ホトケ様に護られている証です。

絶望するからこそ、絶望の淵に立つからこそ、救われます。

あなたには、絶望する心がある、苦しむ頭がある、温かい血が流れています。

何度、生まれ変わろうが、護られています。

次に命を繋がない

と言うことも、一つの尊い選択だと思います。

その選択も、実は、自分自身だけの、選択ではありません。

導かれている。

ただ、それだけの事。

自分独りで、生き、考えているのではありません。
自分自身の生き死に、苦しみさえ全てが、導きです。
本当に自分独りで出来る事が欠片でもありましょうか。
あると言うのであれば、偽満、自惚れでしかありません。
独りで生きているのでは無い、から、どんなに、苦しくても、生きていけるのでしょう。
有難うございます

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有り難し
おきもち

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質問者からのお礼

「その時」になったら受け入れられるのでしょうか。

「自分よりももっと苦しんでいる人が居る」そう言われた私が考えるのは、「いずれ自分もそうなる」ということです。
この世界のあらゆる苦痛は、そこに存在する限り自分も経験する可能性はゼロではありません。
ありとあらゆる事件、事故、戦争行為。それらは決して他人事ではないのです。
そんな世界でどうして正気を保てましょうか。

何度死んでも、何度生まれても、苦痛からは逃れられない。
何度も何度も地獄を経験し、それは終わることがない。
時代が進むにつれ、人間は更に酷いことができるようになります。
いくら理不尽な目に遭わされようと、恨まないでいられるでしょうか。

命ある限り、苦しみ続ける。
救いなんてどこにもない。

絶望し切ることが救いへの道なのだとしたら、どうして正気でいられるのでしょうか。
どうして生きて、次へと繋ごうと思えるのでしょうか。
私は、子供を産まないことが子供にしてやれる最高のことだと思っています。
生きているより生きていない方がずっと良いと思ってしまいます。

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