頭の中がぐちゃぐちゃです。
長年接客業しかやっていなかったから、パートも接客業をやっています。今の仕事についてからは3か月経ちました。
病気を隠すために笑顔を作り、お客様にも「ここのお店はいい人ばかりね」と言われ嬉しく思います。
しかし、家に帰れば作り笑顔から来る反動で鬱の闇に飲まれ、幼い子供に構ってやることもできないです。
ママと呼ぶ声が怖くて、何も聞こえない所へいきたくて「怖い、苦しい、助けて!!」と泣き叫ぶ毎日です。
ネットで「鬱で笑ってる人は症状は軽度だ」などと書かれているのを見ると悲しくてたまらないです。
決して楽ではないです、闇が来ることで震え息苦しくなり心臓が痛くなるのが現状です。
「じゃあお前が代わりに闇に飲まれてみろ、どれだけこの痛む心臓に包丁を突き刺そうとしたか」と思ってしまいます。
通院している心療内科で双極性鬱病と言われたのは多分仕事先では笑顔で居れること、働きに出れていることなどからだと思います。
ADHDと診断されたときは驚きました。私が仕事できないのは発達障害が合ったからなのか…と。
店長には病気を伝えました。別に返事はいらなかったので双極性鬱病とADHDの治療中であると。
仕事中も問題なく働けていると仰っていただけましたが、LINEで家での様子は店とは真逆で、実は怖いやつだと言うこと。
やはり返事はありませんでした。でも隠したくなかったんです。隠していてもし本性が出たらすぐ逃げてほしい、私を首にしてほしい…。
子供も欲しくて産んだくせに怖いし一緒に過ごす時間が苦しいです。
なのに、ジジババの家に遊びに行くと私のとこにはいっさい来てくれない子供を見るのも悲しいです。
どうなりたいのかわからないです。
目に見えない障害が偏見を持たれるのもわかっています…なのに、辛い。そして、闇…
見えたと思った光は、すぐ見失います。目に見えない障害を持った人は人の役に立てないのですか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
見えない世界で「精いっぱい」
これは、わたしがとある尊い方から教えて頂いた
おはなしです。
ある目の見えないお子さんがおりました。
そのお子さんが、絵を描きました。
見えない目で、紙に、一心に、あるものを書いたのです。
そこには、たくさんの手が書かれていました。
紙全体からはみでるくらい、たくさんの手です。
その子は、なにを描いたの?と聞かれ、
「おかあさん」
と答えたそうです。
目の見えない世界。それがそのこの世界です。
生まれてからずっとその世界です。
その世界に、ふれてくる温かい、沢山の手。
頬をなでる、頭をなでる、やさしく抱きしめる、
沢山の手。おかあさん。
その子のいまの精一杯の姿。精一杯の感謝。精一杯の
愛がそこにあったのです。
あなたはすべてに精一杯に生きていると思います。
その精一杯に、精一杯以上の「わたし」に成りたいと
いう思いもあるのではないでしょうか。
いまできる精一杯。その事だけに目をむけてみる。
パートでのウソの笑顔。それも「笑顔」です。
「笑顔」という事実に表も蔭もありません。
それは誰かが勝手に思えばいいだけの事です。
罪悪感なんていりません。ウソの笑顔の何が悪いw
程度に考えてたらいいのです。
「笑顔」の事実は変わらないのですから。
もうそれ以上の精一杯が出来ない
というならば、もうあとは
お外でゴロンとなって、秋空の雲でも眺めましょう。
そしてゆっくり深呼吸です。
これがいまの精一杯。そうおもっての深呼吸です。
きっと、なにかが変わる、かもしれません。
それはわたしにも、あなたにもわからないのですから。
あなたの明日がいい日であるために、
まずはいま、一歩、ひと呼吸をゆっくりと成されて
みてはいかがかと存じます。
あなたにさちあれ。さちあれ。合掌
質問者からのお礼
ありがとうございます。誰かに話を聞いてもらうことは良いことですね。
心療内科の先生や心理カウンセラーの先生も良いです。ですが、人の死を受け入れ見守る立場にあるお坊様の御言葉は人間味がありちがいますね。