hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

誕生日プレゼント

回答数回答 2
有り難し有り難し 14

20年来の友達に、誕生日プレゼントに、一緒に旅行に行きましょう。

と、言われ、祝って貰えるなんて有り難いなぁと思っていたら、旅行代金は各自手出し、旅行プランや配車も全て自分でしてねと、付き合ってあげるんだから。

と、旅行先を決めた後に言われ、思わず、私は本当に祝って貰っているのだろうかと思ってしまいました。

これは、自分の欲から出た錆びなのか。

断ってしまいたい気持ちも抱えてモヤモヤしています。

どうしたら、うまく二泊三日笑顔で過ごすことが出来るか分かりません。

やっぱり、旅行やめようと言う勇気もありません。
この気持ちだけでも救って頂けないでしょうか?


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

う~ん…

一回聞いた限りではひどい話だなあと感じましたが…20年来のご友人とのこと、お二人のご関係はお二人にしかわかりません。二人の間で通じる微妙なニュアンスもあることでしょう。それが実は「どちらかが通じると思っていただけ」の行き違いということはないでしょうか。

これまではどうだったのでしょう。

毎年誕生日をお祝いし合っていたのでしょうか。今回に限らず旅行に行く際の役割分担なども自然とできていたのでしょうか。

もしかしたら旅行中に別にプレゼントがあったり、何かの食事代をその方が持つというつもりもあったのかもしれません…

20年来のご関係なのでしょう。相手も気兼ねなくガンガン物申しているのですからこちらも遠慮せず言っていいのではないでいしょうか。

「ええ~付き合いならいいよ。めんどくさいでしょ?私も計画するの大変だし、近場で食事ぐらいごちそうしてよ」

とか

「旅行やっぱりやめよ。付き合いで行ってもらっても楽しめないし。もう20年の関係なんだし無理することないんじゃない?これからはお祝いなんて気にせず気楽に付き合いましょ?」

みたいに。

もう長年の関係でパワーバランスのようなものも決まってしまっているのでしょうか?

どうでしょう?

本当にお友達続けたいですか?

これを機に関係ごと解消するのも手。これを機にきちんとした関係に発展させたいのなら言うべきことは言うのも手です。

言う事言ってそれで終わるならそれまでの関係だっただけかもしれませんし、モヤモヤはきちんとお伝えしてはいかがでしょう。

{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

友人こそ贅沢な贈り物かも知れません

わかります。
自分の予想と違う展開になったモヤモヤ。
プレゼント旅行と告げられれば、代金の負担とプランニングをしてもらえると想像してしまいますよね。

しかし、お友達の「プレゼント」の部分はそこではなかったのかも知れません。
プランニングや配車、代金など関係なく、「私が一緒に旅行に行けば、ぽちこαはきっと喜んでくれる」と考えられたのではないかと、私は思うのです。

20年来の友人そのものがプレゼント......
私個人の意見では、贅沢な贈り物と思いますが、ぽちこαさんはいかがですか?
たしかに「誕生日なのに、面倒な役回りはこっちかよ!」とつっ込みたくはなりますが。

祝っていただくほうも、思いやりと気配りは欠かせない。
少なくとも私は、毎年一月の誕生日が近づくと、ドキドキしながらそう考えております。

最後に、
もしかすれば、旅行中に何かサプライズが待っているかも知れません。
それに期待しすぎるのは良くないでしょうが。

「一緒に行こう」と言ってくれた、友達の気持ちだけでも充分だと私は思います。
未知なる彼方へ旅立ち、いい思い出を残して下さい。

{{count}}
有り難し
おきもち

時宗の寺院で住職をしています。 今の時代、お寺の在り方とは、僧侶とはいったい何か?と、考えています。 僧侶としての根本は、朝のお勤めだと考えております。 週に2回、お寺で空手教室を開いております。 近隣の子供たちに、礼儀作法を伝える。 これも寺院の持つ役割である、地域貢献に繋がると、少なくとも私はそう思い、精進しております。

質問者からのお礼

頂いた回答を胸に、旅行に行ってました。

旅行に関しては「私と一緒に行くから楽しいだろう」と、言う考えだったようです。

そして、選んだ場所に関しては「行く意味が分からない」「効率的ではない」「理解が出来ない」と、散々否定的な言葉を言われながらの旅でした。

そのまま旅に出かけていては、きっと大喧嘩の旅になっていたと思います。

しかし、改めて20年の時間のなかであんなに楽しく過ごせていたのに、今こうなってしまったのかと見つめ直す事が出来ました。

彼女にとって、私が変わった様に、私にとっても彼女は変わってしまったと感じました。
それは、20年の中で、私が体験したことや環境の中での成長と、彼女の体験したこと、環境の違いなのだろうと少し寂しく思えました。

それをすぐさま解消するとかでなく、それこそ縁の中で必要であれば続き、そうでなければ疎遠になるだろうと感じました。

今回の旅の中で、沢山の気付きを得ることが出来ました。
どうもありがとうございました。

煩悩スッキリコラムまとめ