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何故人は「独りぼっち」を恐れるのでしょうか

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前回の相談より、自分と向き合うことを決めたところ、「何故孤独を恐れるのか」という疑問がわいてきました

かつての狩猟時代の名残で孤立は死につながりやすいからか…
しかし現代ではそう簡単には身体的な危険は迫ってきません

「孤独」を知るため色々観察してみる事にしました

・「孤独だ」と言っている人を端から見て「孤独では無いよ。周りに思いやってくれる人がいるじゃないか」と思うことがありました
・一人で家にいて、メールなどが入っていない状況で「自分は孤独だ」と感じるときとそうでないときがあります
・人に冷たい態度を取られた後や体調が悪いときは「孤独」を感じやすいような気がします
・友達と楽しく過ごしていても「これも永遠では無い」と妙な寂しさを感じたことがありました

これらの事などから、「孤独」とは物理的な状況では無く、また「寂しさ」とも違うのだと思いました

そもそも「孤独」とはどのような状態なのかというところまで考え込んでしまい、そこから先が見えなくなってしまいました

上手く言いたいことがまとまりませんが、「孤独」とは何で、何故人はそれを恐れるのか教えて頂きたいです。よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

 孤独≠孤立

孤独って、大切だと思っています。

『法句経』に
「己こそ己の寄るべ 己を置きて 誰に寄るべぞ。よく整えし己こそ まこと得難き寄るべなり。」
と、自分で判断し、自分の責任で行動する事を教えています。誰に相談したとしても、結局は自分で自分の事を決めるんでしょう?だから、もしもの時にしっかり頼りになる自分でいられるよう日頃からよく学び、よく考え、肚を決めておきましょうね、という事です。
また『涅槃経』には、「自灯明 法灯明」という言葉が出てきます。人生を歩んでいくにあたり「仏の教えと、仏教に育てられた<自分>を便りにして行けという事です。
どっちも同じことを言っています。
だから仏教は<孤独>をとても大切にします。もちろん、自分さえ良ければ他人はどうでも良いという意味ではありませんよ?(笑)

みんなが恐れる「独りぼっち」は、きっと<孤立>の事でしょうね。
孤立は寂しい。孤立は惨め。孤立は不安。孤立は無力感。。。

マザーテレサは「愛の反対は無関心」とおっしゃったそうな。
孤立している人を見つけたら、無関心ではいられない愛のある人間でいたいものですね。

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質問者からのお礼

転落院様へ
確かに孤立と孤独を混同していました・・・!
孤独な時は自分と向き合う一番良い状態だと思います
勝手なイメージですがお釈迦様も修行中はお一人でいらっしゃる気がしますね
孤立することが怖いのは他人との関係が切れているように思えるからか…
お返事より、他人から興味を持たれないこと(無関心)を恐れているのかも、と思いました
イコール自分に価値が無いと思い込んでしまうのかな、と思った後に
自分で自分自身の価値を認めていないからだという結論に至りつつあります(正しいかはわかりませんが・・・)
自分が一番可愛いのに自分自身が一番分からない感じです
何やら考えがまとまってきました!
きっかけを頂きまして、本当にありがとうございます

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