母校由来の偏った価値観から解放されたい
40年以上も昔、某地方のとある進学校で中学・高校時代を過ごしました。
「日本は資源の乏しい国であり、若者の頭脳こそが資源である」という独特の
価値観をあらゆる場面で刷り込まれました。今ではそれが、血液の中を流れているような感じであります。
あれから歳月は流れ、私の人生は客観的に見て決して成功しているとは
言い難く、「活ける資源」として国家や社会へ十分に貢献できなかった......
という自責の念に、この頃ではひっきりなしに襲われます。
長いこと同窓会へも出ておりませんが、たとい同窓会へ出なくとも会報などで栄達した同級生(医師や弁護士など)のことなどを知らされ、それに引き比べ自分はどうしてこうもお粗末なのか…と自責の念がぐるぐると脳裡を回転します。でも、どうにもなりません。この苦しみからどうすれば解放されるでしょうか?
お念仏や参禅のほかにこれという方法があればぜひとも御教示頂ければと念じております。
お坊さんからの回答 3件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
国のための私でなく、私が選び歩む生き方の中に大切な価値がある
資源のエネルギーは、人間の頭脳によりいろんなものに活かされていますよね。
ですが、それだけで世界、日本社会が回っているわけではありませんよね。
自然や暮らしの知恵、いろんなものの恩恵を受けて、人々の暮らしが成り立っています。
職業ランキングなるものもありますが、華やかであったり、高収入の職業だけが優れているわけでもありません。
優劣を人に重ねても、その人の内面や生き方が見えるわけでもなく、人の良さにも出会っていけない。なんとも残念なものの見方なのです。
昭和の学校教育では、知識習得の人材育成、社会への順応性や貢献度で価値を当てはめてきたところがあります。
ですが、国のための「私」ではなく、私が選び歩む生き方の中に、大切な価値があるのではないでしょうか。
環境が変わる、世の中が変わる、また年齢とともにも、生きたい世界は違って見えてきます。
そんな中にありながら、誰がどんな生き方をしてようが、それぞれに自由であり、皆誰かのおかげ様の中で、生かされていますよ。
ご近所さんが、畑で作った野菜。大切に育てられた野菜を、私に分けてくださるのです。美味しくて、いつも感謝します。
お婆ちゃまの小さな手で、育ててくだった労力と愛情と自然の恵みに、この私も命を永らえることが出来ています。
あなたも、あなたの生き方を恥じることなんてないのですよ。
私は、あなたとこうして、ハスノハで会話をする時間も、嬉しいのです。ありがとうございます。
人生を豊かに生きてください
拝読させて頂きました。
あなたが刷り込まれた価値観によって苦しんでおられることを読ませて頂きました。詳細なあなたや周りの状況はわからないですけれども、あなたのその辛いお気持ち心よりお察しします。
あなた自身は自分のことをお粗末だと思っておられるのでしょうけれども、あなたは自分を卑下なさる必要はありません。あなた自身がその価値観をできるだけ捨てていくことがあなたを解放することにつながります。
おそらくあなたもそのことをわかっておられると思います。
若い頃から教育されてきた価値観ですからなかなか手放していくことはあなたにとっては難しいことなのかもしれませんが、人生の半ばを過ぎて改めて自分の生き方や価値観を見直していくこともとても大切だと思います。
人生で何が重要で何が大切なのか、何が幸せなことかは変わっていくと思います。
あなたがこれからの未来を本当に豊かに大切な方々と幸せに生きていかれますように切に祈っております。
自己の身心に内在する観音様
観音さまというのはそういう押しつけがましい人間世界の価値観がないすがたをあらわしたものです。
そういう人間ルール人間ルールしたものから自由になって解放されている心を象徴しているおすがたです。
観音さまが象徴しているその人間の主義思想から解き放たれた心のありようを、求めましょう。あなたも自身の心の中でその価値観のシバラレからも自由になるたいはずです。だからそこをつよく願って無我の心、人間世界のルールからの解放を追求すればいいのです。
他方やファンタジー的な観音様ではなく、ご自身の内側にそういうはたらきがあるということです。
内なる観音の力を念ずる。
それが観自在力というもの。
ここからは禅仏教的に理知的に説きます。
観音さま、観自在菩薩とは、人間の持つ物事を自由自在に観るチカラ、観自在力。
法華経、観音経とは、人間の持つ内なる悟りの働き、観自在力についてのお話です。
観音さまは慈悲の象徴、智慧の象徴ともされますが、その前に無我の象徴です。
人間のルールのない姿、人間の価値観や見解のない様子を無我といい、無垢清浄と言うのです。
たとえばですが、今週は全国的に寒波で各地で雪も観測されるでしょう。
大雪の中、人の踏み要らぬ大自然の働きのままの様というものがあります。
人の足跡一つついていない一面雪景色。
自然界に人間が美しさを感じるのはそこに人間世界のルールが介在しないからともいえましょう。
滝も川も自然の流れで人の手がない。
この人のルールのない世界、人の考え方や価値観の土足の踏み入れのない世界、現実、こころ。
あなたは今既に自分は誰かのルールが働いていると思っておられますが、それも今はありません。
今の一秒一秒。誰からもお手つきの為されていない、無垢清浄の真新しの一秒一秒です。
出会う世界の全てがそうです。
一目一目、一音一音、一呼吸一呼吸、一歩一歩、一触一触、一念一念、思いだって毎回アプローチは異なっているのです。
そこは母校も手の届かないフレッシュな法のさざ波がおしよせてきています。どうしてをそれをいまだに、まだ母校からの浸食があるかのように錯覚する必要がありましょうか。
あなたの今日のいま、そこ、その場所、その人呼吸は人生でハツモノです。
思いの世界から離れて今あたらに来たる、この無垢清浄の事実に親しみましょう。
南無大慈大悲観世音菩薩
質問者からのお礼
Kousyo Kuuyo Azuma 上人:
さっそくの懇切で具体的な御教導、誠にありがとうございます。温かなお見守りを蒙り、感謝に堪えません。「古い上着よ、さようなら/さびしい夢よ、さようなら」という昔の流行歌の歌詞がなぜか口を衝いて出て参りました。牛の歩み、いや、亀の歩みかもしれませんが、私自身が穏やかな日々を歩める方向へと歩んで参りとうございます。
中田 三恵先生:
長年にわたる温かな御教導にいつも感謝で胸いっぱいです。このたびは、私を長年にわたり苦しめて来た、独特の偏った価値観について、その起源にまでぐっと遡る御指摘を賜り、まるで暗夜に明燈を得た思いでございます。どうか今後とも温かな御教導を賜りたく、切にお願い申し上げます。
丹下覚元和尚:
禅の教えに則りつつ、観音さまのお名前に込められた深い意味合いを分かりやすく御教導くださり、誠にありがとうございます。例の困った価値観に苦しめられたら、必ずこのたびの懇切な御教導を声に出して朗誦いたしたく思います。〈内なる観音の力を念ずる。それが観自在力というもの。〉すばらしい言葉のともし火を幾重にも御礼申し上げます。



午後から夜の時間帯は都合がつきやすいです。
◆こちらから、無理に聞き出すことは致しません。
言いにくいこと、言えない気持ちも大切にします。あなたのお気持ちのままに、ゆっくり待ちながら、その気持ちを大切に受け止めたいと思っています。
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