いけないことなの?
自分の弱さ、悪さをここで、さらけ出してはいけないんですか?やっとそれが出来る場所だと思ってお世話になりました。弱さも惨めさも隠さずさらけ出してきたつもりです。格好つけたところで何にもならないと思ったからです。私の発した言葉じりを引き合いになさるのなら材料は山とあります。こうして正直に言っていても、こうしてと言うのはとか言われるのかと緊張しますが。
私が悪いんですか?二親と妹に訴えられたのも私が悪いんですか?私の身勝手が原因ですか?主人やワンコ達に申し訳ないと言う気持ちも悪いんですか?これも身勝手ですか?
お坊様方の優しさ言葉に癒され救われて来ました。私なりに折り合いをつけながら生きて来ました。それもいけませんか?
こんなくだらない事をと思われるかもしれない、でもここで聞いてほしいと思うのは身勝手ですか?
私の気持ちには波があります。押し寄せては離れていって、また押し寄せての繰り返しなんです。その度に倒れたりもまれたりする、そして叫びたくなって聞いて欲しくなる、身勝手ですか?聞いて頂くって悪い事ですか?
100字以内は難しいです。 実の二親と妹とは絶縁しました。 結婚していますが、この様な二親と妹を持ってしまった私が妻で主人に申し訳ないのです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「問答」~問いと答え
マサマサ様、先日の問答からご自身の中で揺らぎが出ているように思われます。
その揺らぎはものすごく苦しいかもしれませんが、別のとらえ方をすれば一つの転換期でもあるように感じます。
外を向いていた眼がいよいよ内に向く…そういう機縁となることを願います。
さて、
「~してはいけない?」とか「~は悪い事?」というのは問題の本質ではありません。そこをお坊さんと争うのは時間も労力も精神力ももったいないことと思います。
問題はそこではないのです。「どちらが正しいか、どちらが悪いか」ではないのです。
マサマサ様がここで弱さをさらけ出していただくことはいっこうに構いません。
ただ、ここはそれだけの場ではありません。それでは一方通行です。その叫びには返事が来ます。私たちもマサマサ様の叫びを聞きます。マサマサ様も私たちの返事を聞いてください。そして聞いていったん飲み込んで消化してみてください。
マサマサ様が「叫びたくなって聞いて欲しくなる」というその聞いて欲しいという行為・態度が問題の本質なのではなく、ここで聞いてもらわずにはおれないという悩み苦しみが問題なのです。
その悩み苦しみの原因は何か。それの対処法は何か。
相談者様が「ここhasunohaがあれば生きていける」のでなく「ここhasunohaがなくても生きていける」ことを目的に私たちは問答しています。ここでの問答自体が目的ではないのです。ここにいることが目的化しては本質からずれます。その先を見ています。
マサマサ様が抱える「悩み苦しみ・その原因・その対処」そこなのです。
これまで何十個の問答を経てきましたが、一度最初からゆっくりと読み直してみてください。
「私はこう思う」を一旦置いて、私たちが何をマサマサ様に伝えたいのかを聞き取ってみてください。
その上でまたこれからもマサマサ様の問いを私たちは聞かせていただきます。
またいつでも。