知人の死について
年明けに、ひょんなキッカケから、わたしが20代前半に、メル友だった東京在住でコックをしている男性が病死していたことがわかりました。
メル友といっても、メールのみならず電話で話したり、愛媛と東京と離れてましたが、実際に会ったこともあり、共通の趣味の話で盛り上がったり、とにかく気が合い、親友?いえ、年令が10才は上だったのもあり、兄のような父のような存在で、楽しく過ごしてました。
お互いに恋愛感情があったわけでないので、月日が流れ、ワタシが、身近で恋愛に関心を持ちだすと、その方とのやりとりは減り、疎遠に。
どれくらい経った頃か、記憶にないのですが、その方から、結婚報告を電話で、受け、我がことのようにうれしかったです。
てっきり、幸せな人生を歩んでいると思いきや、亡くなったとは、今でも信じられず、涙は止まりません。聞いた話、発病してあっという間に亡くなったと聞き、ショックです。
当時は、健康に見えましたし、ただ少しメタボ体型ではありましたが、不摂生している風もなかったですし。
生きていたら、たぶん、50才にもなってなくて、信じられません。
いつかその方が働くレストランで食事をするのが夢でしたが、もう彼が作る料理を食べることは叶いません。
またその方が結婚したキッカケは、ワタシが、面白いSNSがあると教えたからで、そこで実際にグループで会い、お花見があり、出逢いがあったから、ワタシのおかげだと、話してくれましたが。
現在は未亡人になってしまい、ワタシとしては、なんだか申し訳なくて、子供が生まれていたら、なおさら辛く感じますし。
で、あれこれ考えてみたのですが、その方が働いていたレストランのスタッフに聞いて、お墓参りせめてしたいのですが、気味悪がられますか?
当時、愛媛の人とメールしている話をスタッフにしていたみたいですが...お墓参りをといっても、ワタシは、愛媛にいますし、既婚で子供もいて忙しいので、いつになるか分かりませんが、せめてお墓参りをしたいのです。
あるいは、もう過ぎ去ったことなので、心の中で偲ぶほうが最良なのでしょうか。彼も妻帯者ですし、失礼にあたりますか?
長くなりましたが助言お願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
縁・・・付くべき縁あれば付き、離れるべき縁あれば離れる。
〈もう過ぎ去ったことなので、心の中で偲ぶほうが最良〉だと思います。
過去の思い出は、あなたの胸にしまっておきましょう。
こうしてあなたが「偲んで」くれていることは、この質問で、その方に十分伝わっています。それで、キット喜んでくれていると思います。仏教では❝四苦八苦❞は誰も避けて通れません。それを乗り越えて(我慢して)生きていきなさい、と、お釈迦様がおっしゃっています。その方の奥さんも必死で「乗り越えて」生きて行っておられると思います。
あなたは「蔭ながら」祈ってあげるだけでいいです。縁(えにし)とは、人それぞれ持って生まれたものがあります。❝袖すり合うも他生の縁❞と言われます。
その方とは「それだけの縁」だったと諦める(仏教では明らかにするという意味)事が大切です。素晴らしい思い出として「今の生活や家族」を大切に頑張って下さい。その方もキット喜んで、見守ってくれます。あなたが「しあわせ」に生きている方が、その方もキット喜んでくれるはずです。合掌 南旡阿弥陀仏
質問者からのお礼
わかりました。今すぐにでも真相を知りたい!という気持ちが制御でき、穏やかな気持ちで受け止められるようになりました。
助言いただいた話から、主人との縁を強く感じています。主人とは何回か復縁した後に結婚したので。主人や子供たちを大事にしてゆきます。ありがとうございました!