好きだという気持ち、待つということ。
私には結婚を視野に入れている恋人がいました。現在、1人で欧州へ来ております。遠距離になって3ヶ月ほどでした。
しかし、私は他の人と恋に落ちました。
ひと月ほど前に他国(2カ国ほど離れている)への旅行先で出会いました。
彼が私を温めようと体に手を寄せてくれたとき不思議な感覚にあいました。まるで吸い込まれていくようにぴったりと重なり合い離れることができなかったのです。
その後、いたずらのように私たちはすれ違い会えていません。
そして私はいくつかひどいことを言いました。
元彼に黙っていることもできず、打ち明けた後に別れる決断をお互いにしました。
今でも時折こちらで出会った彼とメッセージでやり取りをしております。
彼の返事はとても遅く惰性的な会話は一切しません。用件のみです。
そしてまた会いたいと伝えました。
結果はイエスだったものの、現在の彼の状況(家なし無職)のため会いにいくことも来てもらうこともできないのです。
それなのに、不安になることもたまにありながら、日々穏やかな気持ちで彼のことを思えます。彼の環境が変わるのを待とうと思えます。
そんな気持ちになってしまう自分の気持ちが不思議でたまりません。これは一体なんなのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
不思議
気持ちとは不思議なものです。
なぜそんな気持ちになるのかは思いはかることができません。ただ、そういう気持ちになったということが事実です。
誰かを好きになるということは不思議なものです。
その人より好条件の人がいるとしても、その人より性格が良い人がいるとしても、その人よりイケメンの人がいるとしても、好きになったのは目の前のその人。
気持ちも不思議なら出会いも不思議。その事実は私たちの思い計らいを超えています。だから不思議。
出会える人も好きになる人も選べませんからね。
不思議とはいってもその気持ちが起こる背景には遠距離で離れている寂しさとか、DNAとか、元カレと違ったとか、元カレと似てたとか、ドラマ性に酔ったとか…様々な原因はあることでしょう。
しかしその原因は人間の思い計らいで全てを把握することはできません。だから不思議なのです。
その事実に向き合うならば好きだという気持ちが起こった事実に向き合って行動を選択していくのみです。
運命めいたものや、物語めいたものへの期待があるとしたらそういうものは持ち込まない方がいいでしょう。
あくまでも気持ちが起こったことが事実で「なぜ?」そうなったかは分かりません。
不思議なものを不思議なままにしておけず、自分の思議(思い計らい・期待・妄想・ストーリー)を持ち込むことは賢明ではないでしょう。
そんなものはなくとも出会いの事実・好きになったという事実だけで十分すぎるほど素敵な出来事ですからね。
選択に後悔のないように素敵な恋愛をしてください。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
夢見がちなところがあるので、ハッと気づかされました。
この出会いを素直に楽しみたく思います。