気持ち悪いと言われる苦しみ
私は小学校高学年の二人のこどもの母です。
このたび、学校公開に行き、授業をみた帰りに一人で帰っていると、知り合いの子どもが遠くからこちらを振りむき、「気落ち悪い」と言っていました。
明らかに私のことのようでした。
私は若い時に自分の顔が嫌で、そのことに悩み続けて自暴自棄になり、自分の体を傷つけることをしてしまった結果、体調が悪くなり、顔が常に変わり続けるという症状がでるようになってしまいました。
その症状はいまも続き、顔がおかしくなり、そのことがコンプレックスになっています。
学校公開に行くと、子供たちがどんな親が来ているのか振り返って見ます。
そういう時、いつも私は、自分が変な顔だと思われているのではないか、と気になります。
今回、上記のようなことを言われたことで、「やはり気持ち悪くみえるんだなあ。」ということがわかりました。
そして、もしかしたら自分の子どもたちたちもそう思っていて、心の中では学校公開に来てもらいたくないと思っているかもしれない、と思いました。
もう少し普通の顔であったら、子供たちも喜んできてほしいと思ってくれたかもしれない、と考えて、子どもたちに申し訳なく思ったりしています。
きっと今後も同様のことを言われることがあると思います。
そのたびに辛い気持ちになると思いますが、そもそも原因を作ったのは自分なので、どうすることもできません。
耐えるしかないのでしょう。
ただ、いわれるたびにかなり落ち込むので、だれかにこの気持ちを聞いてもらいたくなり、投稿させていただきました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
顔を気にしない優しい心の持ち主に!
カモメさん、こんにちは。
見ていないからわかりませんが、顔の悪さが気になって暗い気持ちになるのですね。
現実社会では、顔に美醜があって、人は顔の美醜で判断して行動することが多いです。
でも、顔の美醜だけでは、人の価値は決まりません。ものすごく醜い顔でも、人から愛され尊敬される人はたくさんいます。そして心の優しさは必ず顔に滲み出てきます。顔を治すことができないのであれば、心の美しさで勝負してください。心までブスになってはいけません。それを一番知るのは子供たちなのです。子供は素直なので、親の顔の美醜も、小学生になれば気にする反抗期の一つです。それを怒ってしまっては子供に負けたことになります。「人間の価値は顔の美醜ではないのよ。本当の人間の美しさは心なのよ。お母さんを見習いなさい」といえるぐらいの心が自慢できる母親になってください。
そのためには、せっかくハスノハに相談したのですから、仏教を勉強してください。そして仏教の実践です。ボランティア活動に出てみてください。あなたが人様のために一所懸命生きる姿を子供たちに見せるのです。前の相談には社会のつながりがないと書いてありましたが、そういう意味であなたのボランティアを待っている人がたくさんいるのですよ。あなたの顔よりも醜い人はたくさんいるはずです。でもボランティア活動の中には、あなたよりも幸せに生きている人がたくさんいるはずです。そういう人の魅力を学ぶことが大切ですね。
がんばって!いつでも応援します。辛い時には相談してくださいね。合掌
質問者からのお礼
お返事をいただき、ありがとうございました。
ブスという言葉は嫌いなのでその言葉はつらいのですが、たぶん私はそうなのでしょうね。
自分の子供たちは私の顔については何も言いません。自分としては、お坊様がおっしゃられたように、「自分の心が美しいから見習いなさい。」と言えるほどのことができる自信もまだありません。
たぶん、私はそれでもまだ、少しでも容姿が良くなる可能性があるのではないかとどこかで考えているような気がします。性懲りもないと思いますが。
ボランティア活動に進むかどうかもわかりません。
しかし、何か、自分が打ち込むことができれば、現在の苦しみはなくなるような気がしています。
自分が自分自身にとらわれ過ぎず打ち込めることを探していきたいと思います。
そのヒントをいただき、ありがとうございました。