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神様は乗り越えられる試練しか与えないとは本当でしょうか

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有り難し有り難し 26

前回、失明する病気の件で書かせていただきました。

この病気以外にもいろいろあります。末っ子を出産してから舟に乗っているように、ずっと体が揺れています。座っていても立っていてもです。
大学病院の脳外科、耳鼻科でたくさん検査していただきましたがどこも異常なしとのことでなんの治療もありません。15年、この揺れに耐えています。

そして、一昨年、酷い顎関節症になり、これもまた治りません。食べにくい、しゃべりにくい、笑いにくいのです。

治らないものばかりで気分が落ち込むばかりです。

前世で何か悪い事をしたのかしら?何か罰が当たったのか?マイナスな事ばかり考えてしまいます。

生死に関わる病気ではありませんが、かなりのストレスです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

既に乗り越えているという視点も持ってみてください

大変お辛いご病気で大変であろうと思います。
一日24時間の中で「忘れている時間」に焦点を合わせてみる必要があります。
私も昨年5日ほど入院しましたが、病気であっても病気を忘じている時の時間帯に学ぶことがもっとも病気を乗り越える際のよい「薬師」の働きになるものです。
私は今ものどを患っておりますが、咳をしたりする際に痛むという程度で気にしていない時には、病気であっても病気に影響されていないものです。
大切なのは、本当に大変な御病気であるとしても、その体の病気によって心が病に影響されなくすることです。
人は思いによって実際の病気が100であるならば、そこに心でもって
①嫌がる
②気にする
③抵抗する
④変化を求める
⑤悩む
など、変えられないことを変えたいと願うことで心が今の状態に安住しなくなるものです。
うつの人やがんの人でもそれを四六時中気にすることで「気に病む」という心が元気をなくす状態になってしまうことがあります。
私も現在、本当にのどが痛くてどうしようもないのですが、それを変えようとはせず治るのを待つばかりです。
まるさんの場合は今の状態を様々な角度から調べて頂いて盲点となっているところから治していく方法を探してみるとよいかもしれません。
世の中には「うつ」だと思って通っていたところ医師の誤診で低血糖症であったりする場合もあります。
ちょっと違う角度からも原因・解決法を探っていただくことが良いと思います。
原因が突き止められますことをお祈りいたします。

https://www.google.co.jp/search?ei=2k9cWtDJMoyo8QXPtry4CA&q=体が揺れるような感覚&oq=体が揺れるような感覚&gs_l=psy-ab.3...0.0.0.15957.0.0.0.0.0.0.0.0..0.0....0...1c..64.psy-ab..0.0.0....0.IofUvgpc6RU

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有り難し
おきもち

現実に一つ一つ改善を目指して、できることから

まる様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

神様は乗り越えられる試練しか与えないということは、ある意味では現実を無視した言葉であると捉えられても仕方がないものであると拙生は考えております・・

乗り越えられない試練も、まあ、いっぱいあるわけで・・しかし、それも含めた人生であるのであります。

見方を変えれば、また違った捉え方もあるでしょうが・・例えば、人間万事塞翁が馬と言った具合に・・

まあ、それもやはり気休めにしかならないかもしれません・・

とにかく人の体についてもまだまだ解明されていないこともございます。

医学の進歩によっては、また治療もあり得るものとなるでしょうが・・そう望むのも少しの気休めであるのかもしれません・・

うまくどう付き合っていくべきであるのか・・ご当人にとりましてはやはり切実なことであるかと存じます・・

複合する病気には、何かやはり共通した原因があるのかもしれません。

一見、違うとして、それぞれバラバラに専門科に通うよりも、何か共通の原因があるのかもとして、そういう視点で病原を探って頂ける医師・病院を探すことや、あるいは、統合医療的な視点からならば何か治療もあり得るかもしれません。

とにかく、現実に一つ一つ改善を目指して、できること、できうることをしていくことが最善であると存じます。

川口英俊 合掌

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おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

川口 英俊様

早速のご回答、ありがとうございました。

私も何かつながりがあるのだと思い、大学病院の主治医に相談したりもしましたが、関係ないでしょうと即答され諦めておりました。

ひとつひとつ解決方法を見付けていきたいと思います。

丹下覚元様

ご回答ありがとうございます。

既に乗り越えているという発想は全然ありませんでした。

病は気からとよくいいますから、あまり考えないように努めておりますが、ひとりで家に居る事が多いので、どうしても考えこんでしまい、負のスパイラルに落ちていくことも多々あります。

目の病気に関してはiPS細胞の進歩を待つばかりですが、めまいや顎関節症に関しては、もう一度原因究明したいと思います。

丹下様も、のど、どうぞお大事に。

「神社・神様」問答一覧

神を信じられなくなって辛い。

カトリックですが、神父さんに相談しても解決しないので、こちらにおすがりしています。 数年前、ヒルティと言う偉人の書いた幸福論3部作に心酔しました。良い事も書かれていて非常に感銘を受けました。只、迷信も結構書かれていて、、書物や場合によっては人との出会いは導き、とか。人との出会いは導き、と言う事を信じてしまい、当時出会った人と結婚しましたが、タイプの方では無かったのですぐに苦しくなり、、やむ無く離婚を申し出て相手を非常に傷付けました。私もそんなひどい事を自分がした事に傷付きました。以来6年半経ちますが、神は何故こんな事をしたんだろうと、考えています。答えは勿論ありません。神を信じられなくなってしまいました。辛いです。神父さんとかは、その出会いにも別れにも意味があると言いますが、彼女の嘆きを見た私には、意味があったとは思えません。何でこんなひどい事を神はしたんだろうと悩み苦しんでいます。神は予定はしない、と神父は言うのですが、納得いきません。ヒルティが迷信を書いていたのを信じたのが悪かったと思っていますが、抜け出せません。どうしたらいいのかなぁ、、何卒宜しくお願い申し上げます。

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天部の神様と死について

こんにちは。表題の件について質問させて下さい。 忌中には、天部の神様を祀ってあるお寺に参ってはいけないという話を聞きました。 理由は「死は穢れで、特に聖天さんなんかは穢れを嫌うから」「天部の神様は人間に近いから、死を思い出させることで荒れ狂ってしまうから」「本当は神様はそんなこと気にしないんだけど、あなたが悲しいときに無理してお参りしなくていいよ、という意味だ」など、お坊さんによって様々なようです。 私も最近祖母を亡くしました。 祖母とは生前不仲でしたが、遺体を見ていると「生まれて生きて死ぬとは本当に大仕事で、この人はそれをやってのけたんだな。お疲れ様」と素直に見送る気持ちになれました。 死ぬのは怖いけど、それは死に際しての苦痛への恐怖が主であって、死自体はどんな生き物にも訪れるものですし、決して穢れではないと思うのです。 肉体が腐ることだって、微生物に分解され、本来なら動物や植物の糧になり、土に還るという尊い過程です。 何なら生きることより尊いと思うし、衛生管理のため仕方ないとはいえ、死んでまで化石燃料バンバン使って骨にして何の役にも立たない壺に収めて保管して、アホらし、とすら思いました。 そう考えると、「死は穢れだから」とか「天部の神様が死を恐れるから」という理由は、個人的にはあまりしっくり来ません。 人によって死への解釈や意見は違うものでしょうが、実際のところ、天部の神様にとって人間の死とはどういう扱いなのでしょうか? どうして忌中に参ってはいけないのでしょう? 現役のお坊さんの意見をお聞きしたいです。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 1
回答数回答 1

神を信じられなくなってしまいました辛い。

カトリックのクリスチャンですが、神父さんに相談しても一向に解決しないので、こちらにお縋りしています。 数年前に偉人のヒルティと言う人の幸福論と言う著作を読んで心酔しました。何度も繰り返し読みました。確かに良い事も書いてあったのですが、書物や人との出会いは導き、と書いてあったりして、当時の私は私の知らない宗教の神秘かと思い、信じてしまいました。当時出会った女性が自分のタイプでは無かったにも関わらず、運命の人だと信じて結婚しました。直ぐに苦しくなって耐えられない位になり、やむ無く別れをお願いして離婚しました。彼女は号泣して私の胸も引き裂かれる様でした。 以来6年余りが経過しますが、未だ神に逆らって離婚したと言う気持ちが無くなりません。どうして神はこんな事をしたのだろうと答えの出ない問いを続けて苦しんでいます。でも神を信じているから、答えが欲しくて。神父さんにも相談してみましたが、キリスト教も誤った解釈があるとかとは、絶対に言われないので、一向に楽になりません。地獄を彷徨っています。神が何故不幸になる様な事に導いたのかなぁ。どうか宜しくお願い申し上げます。死にたい位辛くてなりません。涙

有り難し有り難し 20
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稲荷信仰の宗教学民俗学的知見を求めてます

 最近、狐に呼ばれているような気がします。稲荷神社に参る必要性を感じているのですが、どこの稲荷神社に行けばよいのかわかりません。  20歳の時に初めて参り強く心惹かれ、なんとなく購入してきた狐のぬいぐるみを会社に居る間ずっとお世話させていただいていた京都の伏見稲荷大社が筆頭ですが、子供の頃に毎日通っていた千駄木の満足稲荷、今は両親の離婚に伴い縁のない実父の家が代々氏子を務める根津の根津神社内の乙女稲荷、生まれた病院の隣の湯島の花姫稲荷にも縁があります。現実問題として現住所が東京であるため、伏見稲荷大社以外でも失礼にあたらないのであれば、そちらに参りたくもあります。  また、昨年は自殺を考えるまで思い詰めたいた時期もあったのですが、その際に縁もゆかりもなかった女性に救われました。その方とは今は連絡が取れないのですが、不思議な人で、どうも今を思うと言動の節々や所作から、狐だったような気がしてなりません。ただ、この方は仏教系の荼枳尼天に近い気もしており、そうなると仏教系の豊川稲荷に行くべきかもしれません。  祀るにあたってリスクがあると言われる稲荷神ではありますが、それだけに失礼のないよう調査しており、また、この機会に一生祀る覚悟もあります。そうでなくとも、召喚には応ずるべきですし、もしも本当に自殺の間際から救ってくださったのがお狐様であるなら、お礼は言うべきだと強く感じています。故に、気軽に選択できずにいろいろ調べている現状です。  神仏には何かを求めるものではなく、あくまで個人の努力を応援してくださる存在として、私個人の思想と行動を中心に考えるべきということも重々承知しており、現実的な偶然を神秘的な問題と混同する危うさも理解しています。しかし、今回は、なんとなく重要な問題のような気がするので、心の問題というよりも、宗教学・民俗学的問題としての情報を求めています。  稲荷神の分霊に関して、総本宮である伏見・豊川の祭神と、それ以外の全国の稲荷神社の祭神は、神道系仏教系の同カテゴリの稲荷であればそれぞれが等しくどこからでもアクセスできるのか、派遣され憑いてくださるという眷属に関してはどのようなシステムで運営されているのか、全国の稲荷神社に参拝して信心を納めても良いものなのか、宗教学・民俗学に詳しい方がおられましたら、回答もしくは書籍の紹介いただけると幸いです。

有り難し有り難し 8
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ