罪悪感
小学生の頃、自分に対する言動や性格が嫌いな子がいました。
上から目線な発言や横柄な態度が嫌いでした。
その子とはクラス替えで別になりました。しかし、廊下でその子と会うときがありました。
私はこれまでのことがありその子と話したくなかったため、もう一人いた友達にだけ声をかけました。
その子が一緒にいることを知っていたのに、「誰々もいたんだ、気づかなかった、ごめんね」と嫌味を言ってしまいました。
今、振り替えると、そのような幼稚な意地の悪い発言をせずとも、いくらその人のことが嫌いでも適当に挨拶をかわしてやり過ごすことができたはずです。
しかし、当時の私にはそのような大人な対処ができなかったのです。
その子と関わることが何度かあったのですが、私に対する態度が今まで以上に感じが悪かったです。
その後、中学校でもその子と同じで、部活や一年間クラスが同じでした。
私は4、5年が経っていたため、嫌いだという感情を抑えて自然に接しようとしました。
しかし、その子はまだ根に持っていたようで、私にだけ態度が悪く、話すときに目を合わせないことから自分のことが嫌いだと伝わってきました。
それだけなら、まだましでしたが、その子と掃除をする班も一緒でした。
私がいる前でもう一人いた子とわざとにやにやと笑いながら耳に手をあて内緒話を始めました。また、その二人は、掃除をさぼったり、私に大変な仕事を押し付けたりしました。
もう一人の子も性格が悪く、私に小学生時代から不当に嫌がらせをしてくることが多々ある子でした。
また、他のときに私が間違った行動や言動をしたときに非難をしてくることもありました。
しかし、年賀状を出したいから住所を教えてほしいと聞かれたこともありしました。多分、たくさん年賀状をもらったことを自分の親に自慢したいがために利用されたのだと思います。
また、テスト返しの答え合わせで、答えが分からないときに私を頼ってもきました。
私がした行動も幼稚ですが、嫌いな人を頼る考えが理解できないです。
その後、高校も最後の一年間が同じクラスでした。約10年も経っているのにその子は感じ悪い態度のままでした。
今までにされたことはとても腹立たしいですが、振り替えると約10年間もその子は私のことを恨んでいたのかと思うと、私がしたことはそれ以上に悪いことだったのかと罪悪感です。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
❝怨憎会苦(おんぞうえく)❞というものがあります。
お釈迦様は「人生には四苦八苦がある」とおっしゃっています。「苦」とは「自分の思い通りにならない」という事です。その中に❝怨憎会苦❞と言って「顔も見たくない、声も聞きたくない、と思う人とも会う時には会う」という「苦」がある。しかし、人生とはそれを耐え忍び、乗り越えていかなければいけない、という事です。
あなたは長い間、その人との関係に苦しんできたようですね・・・。小生から見ると「気にし過ぎ」と思いますが・・・。けれども、それはあなたの持って生まれた性格のようですね~。
逆から考えると、あなたは「他人想いの、心優しい方」とも言えます。あなたの長所かもしれません。また、仏様が❝怨憎会苦❞という試練を与えて、あなたを「我慢強い&心優しい」人間に育ててくれたのかもしれません。
❝過去はやり直すことはできないが、見直すことはできる❞とも言われます。あなたは十分「過去」を見直しています。過去の事はもう忘れて、未来に向かって進みましょう。大丈夫!。あなたならキット前に進めます。頑張ってください。合掌
質問者からのお礼
有難いお言葉に何度読んでも胸が締め付けられます。気にし過ぎてしまう性格は自分でも自覚があるため、上手く向き合っていけるようにしたいと思います。短所を長所と捉えて下さったことから、前向きに頑張ろうという気持ちになることができました。本当に感謝しています。
誠にありがとうございました。