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観世音菩薩

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1年ほど前に、ふと目が覚めると、朝方、左足元の方に黄金に輝く観世音菩薩が立たれていました。
あまりに眩しく圧倒されていると、観世音菩薩がわたしに近づいてきます。

わたしの、左腕がゆっくりと上がり、菩薩様がわたしの左手を持って、こう言いました。

「あなたに、この力を返します。この力を人々のお役にたてなさい」

そうすると、まぶしい光と共に左手の指先から肩あたりまで、ものすごいエネルギーみたいなものが伝わってきて、あまりの、衝撃的な痺れるような温かいような強いエネルギーに驚いて、唖然としてしまいました。

エネルギー注入のようなものが終わると、菩薩様は、光と共に消えていきました。

それから、いろいろと左手を人のお役にたてるという事を考えて続けてる一年なんです。
これは、観音様からのメッセージでしょうか?
間違いなく夢ではありません。

子供の頃から敏感なのか、霊感的なものはもっているのですが、仏様が現れたのは初めてです。
どのような解釈をすればいいのかな?
と、日々、考えています。
わたしは、元整体師です。もしかしたら、揉みほぐしや整体を続けなさいという事かな?とも思います。お導師さまは、どう思われますか?
今は、旦那さんの家業に入っているので、まったく違う職業で、もう、その仕事には戻れないのです。また、違う意味のメッセージとしたらどういう意味なのでしょうか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏に遭っては仏を斬れ

むか~しむかし、あるお寺のお坊さんがご飯を作っていると、お粥の鍋の上に文殊菩薩が現れました。
瞬間、お坊さんは文殊さまを殴り飛ばします。。。そしてお坊さんは言いました。「たとえ釈迦ジーサンが出てきても殴ってやる!!」

なぜお坊さんは文殊菩薩を殴ったのでしょうか?理由は簡単、スピリチュアルな超常現象は仏道ではないから。大切なのは仏菩薩が現れることではありません。今、自分の目の前の1つ1つ、1人1人を仏菩薩として大切に接することができるかどうかです。それが仏道です。それを忘れさせてしまうなら、つばきさまが出会ったのは観音様ではなく、マーラでしょう。

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有り難し
おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouTuber「仏教・お寺ch 大慈」。 【現代日本仏教最大の課題のひとつはコミュニケーション不足】をミッションに10年以上、インターネット上で情報発信をしています。 YouTubeでは仏教の教えや読経だけでなく、お寺の真相やお坊さんの生活が分かる動画を配信しています。(リンクは↓のURL)

わからない場合は仏教の基本に戻る

本当に夢でも幻覚でもなかったのかは、確かめようがありません。
したがって、どう解釈し、どう行動するかは、仏教の基本に戻って考えたほうが安全です。
まず、欲・怒り・怠け・プライドなどの煩悩は悩み苦しみの原因になります。
なので、観音様に出会えたことで変なプライド(私はすごい、私は特別)が芽生えると自分や他人の苦しみを増やす危険があるので要注意ですね。
観音様を信仰する大乗仏教(日本仏教のほとんど)では、六波羅蜜という6つの修行を推奨します。
詳細は割愛しますが、六波羅蜜の一つに、布施波羅蜜(ふせはらみつ)という修行があります。
他人のために見返りを求めずに何かをしてあげる修行です。(金品のプレゼントだけが布施ではない。)
誰かのために布施波羅蜜をやってみてはどうでしょうか。
慈悲の菩薩である観音様は、きっとお喜びになるはずです。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

観世音菩薩、普賢菩薩

妙法蓮華経 観世音菩薩普通門品第25
仏の姿を見て道を得る者には仏の姿をあらわし
子供の姿を見て道を得る者には子供の姿をあらわし
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妙法蓮華経 普賢菩薩勧発品第28
道を求める者には白象に乗ってその姿をあらわす
-------------
以上の根拠から、深く仏道を求める心を高めていくことが肝要です。

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有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

質問者からのお礼

六波羅密というのは、聞き覚えがありました。
ご奉仕の心で、何かできることから初めてみようとおもいます。
観音様がでたことに特別な意味があるのでは?と考えていましたが、そうという事ではないのですね。出会う物や人に対する愛情や大事にする思いを見つめ直してみます。
ありがとうございました。

六波羅密というのは、聞き覚えがありました。
ご奉仕の心で、何かできることから初めてみようとおもいます。
観音様がでたことに特別な意味があるのでは?と考えていましたが、そうという事ではないのですね。出会う物や人に対する愛情や大事にする思いを見つめ直してみます。
ありがとうございました。

よく、迷いや気持ちがある時は、その観世音普門品を読み上げます。

そういった事から、心で求めていたりする事で現れてくださったのかもしれません。

初めて、聞きました。道を求め続けてているので。
きっかけとして、いい現象と思い、何か一歩進んで行こうとおもいます。
ありがとうございました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ