仏様の存在を信じてもらうにはどうすればいいのでしょうか?
私は先日、このhasunohaでの有り難いお言葉を頂き、仏師になろうと決心しました。
それで仏教を学び、皆に伝えようと思考を巡らした時、一つの悩みが生じました。
それは、仏様の存在を信じない人がいてそれを説得できない事実です。
私は幼いころ、実際に観世音菩薩様に出会っていますし、姉も不動明王様に出会っています。
ですから、我が家では仏様の存在が当たり前となっているのですが、過去何度か他者に当たり前の感覚で仏様の事を言うと、信じてもらえませんでした。
信じない人は、科学的にあり得ない、仏様に会ったのなら私に金と権力がないのはおかしい、夢だ、幻覚だ、不合理な世の中になる筈がない・・・といった具合の事を言って聞いてくれません。
私は仏様が公平な仕組みを作り依怙贔屓をしないだけだと考えています。
それに、金権力といったものに興味を持てないので、ご利益がないからおかしいという意味が分かりません。
貧乏ながら幸せと感じているからそれがご利益だと思います。
生きて喜怒哀楽を感じることが人に与えられたご利益ではないでしょうか。
普通にあった出来事を何と言って説明すればいいのかわかりません。
当たり前のことを説明するのは難しいです。
存在するものは存在するのです。
夢や幻といわれますが、ちゃんと起きているときに出会っています。
あの圧倒的な存在感を五感で感じたものは信じるしかないです。
きっと、仏様に出会った人は皆そういうでしょう。
過去何人もあった人がいるのですから存在しないと考える方がおかしいです。
それしかいいようがありません。
私自身が馬鹿にされても構わないのですが、仏様の存在を信じない人は損していると思います。
ですから、できるだけ信じてもらいたいと考えております。
どうかお知恵をお授けください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
仏という言葉でなくても良い
お釈迦様は今の日本のように「仏」らしいことを何も持ち込んでいませんでした。
いつの頃からか仏教は、仏さま思想になったのでしょうか。
そこをよくよく思惟してみてください。
客観的にみればキリスト教や神話のタロットカードのようなものをみせられて、こういう神が存在するんだよ、こういうマリア様という方が存在するんだよ、こういう悪い悪魔も存在するんだよ、と言われてあなたは「ハイ、そうでございますか」と信じられますか。
伝えるべきは観世音、観自在が示す中身の方です。
不動明王が示す、不動なる心、煩悩を断ち切る金剛の剣、智慧。
カタチの仏を示して、こういうものが存在すると言っても人によっては絵空事としか感じないでしょう。
本尊とは、自分の自我が失われて自らがそれになった様子。
あなたが観世音菩薩、不動明王のごとき生き方をすれば、それが仏をあらわしたことに他ならない。
仏、菩薩は、知識で論ずるものではない。存在を証明することではない。
自らがそういう生き方をして伝える精神なのです。
あなたなら工夫して、必ず実現できるはずです。
「疑」の煩悩があるから信じられない
悟りの第一段階(預流果)に達したら、「有身見」「疑」「戒禁取見」という3つの煩悩がなくなるそうです。
裏を返せば、普通の悟っていない人には皆、それらの煩悩があるのです。
その中の「疑」とは、よく確かめもせずに頭から否定したり、よく確かめもせずに妄信したりする煩悩のようです。
誰にでも、そのような煩悩があるのです。
だから、信じられなくて当然なのです。
あなたが出会った観音様が本当に観音様なのかどうか、それもわかりません。
むやみに信じこむのも「疑」の煩悩かもしれませんから、気をつける必要はあります。
「法(心で考えること)は無我(実体がない)である」(法無我)と気をつけてください。
なお、仏教を信じる入りかたには二つのパターンがあります。
直ちに仰ぎ信じる「仰信」と、理屈で理解して信じる「解心」です。
お釈迦様なら、相手に応じて両方のパターンを使い分けて他人を導くでしょうけど、我々にはなかなか難しいのです。
仏教ではプライドの煩悩は悩み苦しみの原因と考えます。
信じている自分は信じていない他人より偉い、すごい、とかいうプライドが生じるのも苦しみの原因になるので、気をつける必要がありますね。
質問者からのお礼
願誉浄史様へ
教えて頂き有難うございます。
私は無知ですのでそういった信じられない煩悩があることを知りませんでした。
人心はそういうものなのですね。
確かに私は信じやすいところがあります。
気を付けないと駄目ですね。
今のところ、自分は偉いと思っておらず、仏様に比べたら人間の差なんて微々たるものと考えているのですが、将来慢心が生じてしまうかもしれません。
そうならないように気を付けます。
丹下 覚元(たんげ かくげん)様へ
私自身、神様とか悪魔とかを直ぐに信じるタイプです。
自分が仏様に出会ったのだから、そういう高位存在がいても不思議ではないし、人よりも高位の存在は星の数ほど存在するのだから、出会う人がいても不思議ではないという風に思っていました。
それで信じられない人の気持ちがわかりませんでした。
そして単純に、あのような素晴らしい存在がいるのに知らない何て損しているなと思っていました。
存在していると知っているだけで、お金、地位、名誉、競争なんてものがどうでもよくなり、山空星などが全て美しく思え、平凡な毎日こそが全てに勝る幸せだと分かるようになると考えております。
そういった事から、単純に良いことを知らせようと思ったのですが、丹下 覚元様がおっしゃる通りで、別に存在を知らなくても内容さえあればいいですね。
幸い私は学問全般が好きなので、その知識を駆使して正しい心を表現しようと思います。
お二人の有り難いお言葉を聞き、ますます仏教に対する興味が強くなりました。
仏教を正しく学び、内容を伝えるよう努力します。