なりたくないものにならないためには
自分でも不思議なことに悩んでることとはわかっているんですが、
今年で28になり、ふと今までを振り返って見たとき、自分がかつて(こんな風にはなりたくないな)と思ってきた人達に少しづつ自分から近づいている気がして怖くなりました。
(こんな風に)というのは例えば、大学生時代、当時のバイトの先輩(30代)に給料だけは一丁前に貰う権利を主張して、周りの人の事をぐちぐち悪口を言うくせに、自分は大して仕事できない事を棚に上げてる人がいました。当時の自分はそういう人を嫌うつもりはないにしろ、こんな風な事を平気で言うタイプにはならないようにしようと、思っていました。
ところが歳をとるにつれ、自分の身の周りの現状を考えていくにつれて、少しづつそういう、なりたくなかった何かに近づいているのではないかと。
今まで憧れる人ができなかったことが理由なのかもしれないんですけれど、かといって自分自身が正しいとも思ってません。
ふと、なりたいものになる為の方法は良く聞くような気がしたんですが、なりたくないものにならない為の方法ってあるのだろうかと思い、ここに書いた次第です。
散文お見苦しくなってしまい大変申し訳無いのですが、是非何かお言葉をいただけると有り難いです。お願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
機の深信
”少しづつそういう、なりたくなかった何かに近づいているのではないか”
あなたのこの自覚と危機感には、その感度の良い感性に感服いたします。
愚中極愚 狂中極狂 塵禿有情 底下最澄(最澄)
愚禿(親鸞)
愚痴(法然)
無知の知(ソクラテス)
どうやら、わかっている人ほどいわゆる”恥”を知っているようです。
【後生の一大事】このままではヤバイ!?
こう気づけたからこそ【求道】つまり自分の進むべき方向の探求がはじまるというものでしょう。
”なりたくないものにならない為の方法ってあるのだろうか”
とりあえず注意深く生活しましょうとくらいしか今は言えませんが、あなたの疑問はあなたの人生を賭して立ち向かうに値する重大な課題だと私は思います。どうか結論を出すのに慌てることなく、でも今生において必ず解決すべき善き問であると心得、日々ご精進くださいませ。
質問者からのお礼
御言葉ありがとうございます。答えを焦らずじっくり考えていきたいと思います。