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傷や罪との向き合い方がわかりません。回答受付中

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有り難し有り難し 1

過去の罪への後悔と受けた傷が消えません。小中学校時代、友達にからかわれたり、嫌がらせをうけることが何回かあり、耐えきれずやり返してしまったことがあります。いくつかあるのですがその中でもひどく残っているのが中学時代です。当時同じ部活の3人で仲が良かったのですが、ある日から体調不良で学校を休むと次から無視されたり、相手の態度が悪くなったり、悪口を言われるようになりました。最初は数日たつと元に戻っていたのですが、だんだん長くなり、毎日のようにされるようになりました。当時ほかの場所でも容姿をいじられることがあり、人目を気にしすぎていてなかなかうまく嫌だ、助けてということができませんでした。しばらくして被害はやみましたが、その時すでに傷つけられる恐怖から私の思考はおかしくなっていて、学校で生き残るためには悪口を言われれる側ではなくていう側になるしかないと考えるようになっていました。そして、三人のうちの一人に仕返しをする形で悪口を言ったり、無視したりしてしまいました。後悔してもしきれません。そのうち、その子が学校に来れなくなってしまいました。先生も交えて面談をし、心から謝罪もして一応は解決したのですが、正気に戻ったときに、自分が一番なりたくなかった人を攻撃する最低な人間になっていたことに気づき、罪悪感に押しつぶされ、摂食障害になり今度は私が不登校になりました。それから、メンタルも体もボロボロの状態が続いていて、人も自分も信じれなくなりました。常に自分が悪いんだ、私は出来損ないだという思考がこびりつき、今まで気にしなかった小さな失敗まで掘り返しては自分を責め、いつか私は世界中から責められるんだと毎日怯えています。その一方で、なんで私も傷ついたのに私ばっかりが悪いことになるんだ、という自分勝手な声も聞こえてきて、余計に自分がだめな人間に思えてしまいます。
人前に立つ仕事を夢に掲げていますが、こんなに罪を犯した自分は資格がないと思ってしまい苦しいです。過去は消せないのだから、これから周りの人も自分も大切にしていくしかないと、頭では理解できますが、なかなか嫌な思考が消えません。いい加減、過去と折り合いをつけて前に進みたいのですが、傷と罪をどう受け止めたらよいか助言をいただきたいです。長文で申し訳ありません。

2026年2月4日 20:58
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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

能常念仏者能常懺悔人

タイトルの言葉は、「常に念仏する者は、常に懺悔する人である」という意味です。
過去の罪業(悪いカルマ、悪いことをすればするほど悪い癖がついて悟りにくくなること)を断ち切るためには、罪を懺悔(さんげ)すること(罪を反省すること)が有効だと言われます。
そして、南無阿弥陀仏と念仏を唱えればどんな悪人でも、阿弥陀如来の力で極楽浄土に往生させてもらえるという教えがあります。
時間の罪と向き合い、「こんな煩悩だらけの悪人である自分でも阿弥陀様に救っていただける」と思って
「なむあみだぶなむあみだぶなむあみだぶなむあみだぶ」
と念仏を唱えることもまた、過去の罪業を断ち切ることになります。
なので、念仏は罪業を断ち斬る利剣にも喩えられます。
江戸時代の有名な僧侶は
「口先で 南無阿弥陀仏と言えばよい 心なくして申せるものか」と言われたそうです。
本来、仏様の救いを信じて念仏するのが良いのですが、ついつい疑ってしまうのも人間です。
しかし、とりあえず口先だけでも、物理的に「南無阿弥陀仏」を出力できれば、それこそが、仏様を信じる心がある物証なので、その人は必ず救われるのです。
徒然草という書物には、「疑いながらも念仏すれば往生できる」と出てきます。
心の底から懺悔・反省するのは難しい場合があるし、懺悔できている自信もないかもしれませんが、口先だけでも念仏できれば合格人生です。

2026年2月5日 12:50
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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

今から「人の痛みに寄り添うための眼」に変えていけばよいのです

ご相談を拝見いたしました。一人で抱えるにはあまりに重く、苦しい時間を過ごしてこられましたね。

私ども浄土真宗の視点からお伝えしたいのは、あなたは「最低な人間」なのではなく、縁(えん)によって誰もがなり得る「人間の悲しさ」を一身に引き受けておられるということです。
かの親鸞聖人は「さるべき業縁(ごうえん)の催せば、いかなる振る舞いもすべし」と説かれました。人は環境や状況(縁)が整えば、思わぬ過ちを犯してしまう脆い存在です。あなたが相手を傷つけたのは、あなた自身が「生き残るために思考がおかしくなる」ほど、深く傷ついていたからです。自分を守るための防衛本能が、悲しくも攻撃という形をとってしまったのでしょう。

その罪悪感は、あなたが本来、人の痛みがわかる優しく清らかな心を持っている証拠です。自分を責める心と、「私ばかりが悪いのか」と叫ぶ心、その両方が真実のあなたです。仏様は、その割り切れない葛藤のすべてを「そのまま」抱きしめてくださいます。

過去の傷や罪は、消そうとするのではなく、これからあなたが「人の痛みに寄り添うための眼(まなこ)」に変えていけばよいのです。人前に立つ仕事を目指す際、その苦しみを知る経験は、必ず誰かを救う力になります。
まずは、ボロボロになるまで生き抜いてきたご自身を、どうか「よく頑張ったね」と労わってあげてください。


縁起寺 釋聴法

2026年2月5日 13:55
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有り難し
おきもち

真宗木辺派 縁起寺 衆徒 (僧侶/教師) 高等学校教師歴38年,理系,専門は電気工学・情報工学, 現在は真宗木辺派僧侶
お悩みの相談は全般的に対応します。(下記を参照して下さい) 相談時間は、月・木・金・土・日曜日は、8:00~20:00です。 火曜日と水曜日は18:00~20:00での対応となります。 翌日以降で、他の法務等がなければ、できるだけ迅速に対応させていただきます。 元高等学校教員ですので、将来の進路や転職に関する相談などにも対応いたします。 現在も非常勤講師を行っているため、少々対応にお時間をいただく場合もありますが、できるだけ早く対応できるように調整いたします。 ◆職場や学校での人間関係がうまくいかない ◆ストレスや不安で日々の生活に支障がある ◆無気力で、人生の目標を見出せない ◆卒業後の進路を決める事ができない ◆別れた交際相手の事を忘れる事ができない ◆家庭不和で毎日の生活が辛い ◆家族や大切な人を亡くして心の整理がつかない ◆何事も悪い方向に捉えてしまい、自己嫌悪に陥っている ◆ついつい他人に辛くあたってしまい、後悔を繰り返す ◆毎日充実した日々を送れるように、仏教の勉強がしたい など、上記はこれまでの相談の例(ハスノハ以外を含む)です。

質問者からのお礼

このような独りよがりな文章に回答していただきありがとうございます。
能常念仏者能常懺悔人という言葉、参考になりました。
過去を思い出してつらいときは南無阿弥陀仏をとにかく唱えてみようと思います。過去の出来事も私の一部として、胸を張って自分に誇れる自分になったと言えるまで、もがいてみます。ありがとうございました。

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