人生こんなはずじゃなかったのに
30代主婦です。幼い頃から宗教熱心で過干渉の母親、家庭を顧みない父親、母親の完全支配のもと宗教にのめりこむ子供たちという家族で貧乏生活を強いられてきたため劣等感が人一倍強く、お金を使うことに罪悪感があります。
社会人になり、社会に適合できず自律神経失調になり三年しか働けなかった自分が許せず、結婚してもいつも「このままでいいのだろうか?」と日々を無駄に過ごしているようで不安です。
以前派遣社員としても働きましたが、人の目が気になり、「好かれたい。いい人でいたい」との気持ちから人間関係に苦しみ、一年弱で辞めました。今は週3日のパートをしています。
結婚して8年、子供を欲しいと思えず作れませんでした。
子供を産んでも人並みに働ける人が羨ましくて仕方がありません。私は健康な子供を産めるのか不安で子供を作るのが怖いです。自分のように精神的に弱い子供だったらどうしようと思い悩んでしまいます。
大学時代までは明るい性格で自己肯定感が強かったのに、社会になり、うつになってからは性格が180度変わって暗くなってしまいました。
孤独感も強く、人からどう思われるかを気にしてしまいます。
人の目を気にせず自分は自分、と強い気持ちになるにはどうすれば良いのでしょうか?自己肯定感が低くて生きづらいです。
もっと他人から認められたい
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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レッテルはすべて自分で貼っているもの
実際、人にどう思われるかによって生活は変わりますか?「あの人使えない人だ」とか「あの人は怖い」とか思われると、困りますか?実際の生活の中で、どう思われているかは関係ない話で、正解もわからないことだし、探っても仕方のないことなんですよね。
大切なことは、言葉や文字に踊らされないことです。
言葉の裏を考えてみたり(真意といって探ろうとする)、文字で表現されたことを自分勝手な捉えかたで気づかぬうちにネガティブな方向に引っ張ってしまったり・・・
全部それは人に与えられたことではなく、自分自身で作ったレッテルなんですよね。自分でレッテルはって自分で苦しむ。案外回りはなんにもしていないものです。病気もそうです。名前が付くと安心するということもあるかもしれませんが、ネガティブ志向だとどんどん負の方向に引っ張られより病人になってしまうということもあるでしょう。
事実に目を向けることです。過去のいろいろな体験はあっても、今の自分が救われていればいいのです。過去は今にありません。どこにもありません。未来もない。言葉で表現できないほどの「今」しかないのです。あるといってもないほどの今です。これが事実です。
人にどう思われているか「考えること」「想像すること」「思い出すこと」は幻想です。どこにも実態がない。本当のような“気”がしているだけなんです。そこを追及することは現実を生きていないことです。事実はあなたの体のある所で起きています。そこに生きていたら楽になります。子供を育てる勇気も出てくるでしょう。無理はしない。けれど、妄想を追うことはしない。否定もしない。思いがでてもそのまんま。そうした生き方を仏道というのでしょう。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
本当にご回答いただいた通りでした。
全て自分が決めつけ、自分で自分を苦しめていました。
言い訳になりますが、小さい頃から親姉妹の中でも、家族の人のことや、他人のことを「あの人はああだから〜、こうだから〜」と何かにつけて思ったことを口に出す家族でしたので、人は裏では悪く思っている、言っていることと考えは別なのだ、という見方が染み付いています。
それもあり人の目が気になってしまっていました。
昔はそんなことなかったのに、大人になって社会に適合できなくなったら気にしすぎるようになってしまいました。