つぎからつぎへと
私が今の夫とお付き合いするようになり、結婚後も含め私の祖母、おば、おじが2人、夫のおば、私の母が続けて亡くなりました。
人の不幸が続いた後私の家族にお金のことでの災難が次から次にやってくるようになりました。生活に必要なものが壊れるとか、突発的なものが殆どで……。食べることもままならなく、あまりにも頻繁なので娘と呪われているのではと考えています。
娘には話していませんが、今の夫は(娘と血縁関係はないです)窃盗で何度か服役しています。
人を苦しめた分、恨みがあっても仕方ないと思います。
それとは関係なく呪われているかも知りたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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仏教は因果を説く
ご相談拝読しました。色々な事が重なり大変お辛い状況であると承りました。お見舞い申し上げます。
しかしながら呪いということはありません。ですが「呪いという事実」はなくとも「呪いという概念」がある以上、人間はその概念にすがりたくなるような弱さを持っています。
今、まゆみ様の状態でいわゆる占い師や祈祷師といった方々(もちろん真っ当なものではなく詐欺まがいな事をしている方々の意)に近づくとその弱さに付け込まれ、呪いのせいにされる恐れがあるので注意が必要かと存じます。
お祓いをしたり。壺を購入祖したり、不思議な力を持つ人に金品を布施したりしても不幸がなくなるわけではないことをよくご承知おきください。
幸・不幸は物事ではなく人間の解釈にあります。同じ出来事でも幸に感じる人もいれば不幸に感じる人もいます。それがたとえ死についてでも世の中には誰かのを喜ぶような場合もありますから人間は恐ろしいですね。
さて少し横道にそれましたが仏教がとくのは因果・因縁です。これは怪しい事ではなく、「物事には原因がある」というシンプルかつ揺るぎ無い道理です。
人が死ぬ原因は生まれたことです。生まれたからには誰もが死にます。その時期や状況は様々であり重なることもあるかもしれません。親族で生活状況が似ていればそういうことも有り得るのかもしれません。
しかしながら、まゆみ様がお抱えの状況というのは本当にお辛いものであると思います。だからこそ感情に流され、原因と結果を見つめる目を失い、怪しげなものに取り込まれないように心持をしっかりとしていただきたいと願います。
お金は使えば減ります。家電はいつか壊れます。人は生まれたら死にます。人を苦しめると恨みを買い、人からの助けを得られなくなったり、不利益な仕返しをされたりすることもあります。
その一つ一つの原因と結果は恨みや祟りや呪いというものではなく、こうだったからこうなったと結びつくものです。もちろん人知では全ての原因を知ることができるわけではないのですが。
生活を見直し、人間関係における態度を見直し、受けれる支援制度は受け、人にやさしく、「ありがとう」「ごめんなさい」「おかげ様」「お互い様」の心で日暮らしを整えていきましょう。
質問者からのお礼
少し、時間がかかりました。
ありがとうございます。
本当にあの頃、私は何にでも縋る気持ちでした
でも、わからない除霊に縋らなくて良かったです
ありがとうございました。