遺書
仕事が終わってからも休日も頑張ってきました
出勤日は前業代もつけず、仕事をしてきました
なのに、要はすんだ、その一言で終わりました
ざまぁみろ、何でそんな事を言われなければいけないのか分かりません
目の前の仕事をコツコツやっただけなのに
どんな仕事もやってきたのに
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あなたの全体像はどうなのですか?
こんにちは。お疲れ様です。
この文章で「遺書」というタイトルということは、「仕事に対して全人格を傾けてきたのかな」と感じます。
どんな場面であっても、他者との関係においては、「自分の一面」で接しているものです。私も、家庭にいれば家庭人として周りと接し、評価されます。お寺にいれば坊さんとして評価されます。趣味のサークルでは、そのメンバーとしての評価がなされます。
これら、全て「私の一面的な評価」でしかありません。私の全人的な評価は、誰にもくだせないのです…自分以外には。
「会社の評価が私の全て。会社以外での自分は見ない」ままで何かを決心するのは、勿体無いことと思いますよ。
追記
早速よんでくださって、ありがとうございます。
良かった、あなたは大丈夫だと思いました。「誰々はこう評価している」という、主語を捉えているからです。そして、「一面でもって全体を評価しようと考えている人たちである」ことも認識している。
つまり、「あなたから見ればね。」という視点が持てるか否がポイントだよと言いたいのです。
強い言葉であったり、衝撃的な発言であれば「私って、そうだったのか!ガビーン」になってしまうことは想像できるのですが、冷静に考えれば「彼から見ればね。」を超えることはないのに気づくと思うのです。彼の意向はそうだとしても、それを受け入れる、入れないの自由はあなたが持っているのですよ。
日々感謝を忘れないで下さい。
御質問頂き有難うございます。「遺書」と書かれておられたので、皆様に知って頂きたかったのだと思いました。今私たちがこの世(娑婆世界)で生かさせていくうえで喜怒哀楽の御縁に遭わせて頂いておりますが、やはり人間世界においてたくさんの思いがありますが、日々感謝させて頂いて生活を送られたら良いかと思います。嫌な事は出来るだけ関わらずに気持ちを避けられると良いと思います。頑張って下さい。 合掌
質問者からのお礼
こんにちは。
会社での私は一面なはずなのに、自分達の都合で私という全人格が決められる事を痛感しました。疲れました
追記を読みました。
ありがとうございます。
どなたかが書いていたのを思い出しました。言葉を受取拒否できる、その時に言われた言葉は雑音で今はもう存在しない、と。
頭では分かっているのですが心は簡単ではなく厄介です
嫌な事はできるだけ関わらず…ですか。
そうはいかないのが人生だと思っていました。