夫を亡くした知人との付き合い方
3年前に、ほとんど付き合いのない、同年代の知人の夫が突然亡くなりました。子供はおらず、精神不安定になった彼女は、家にいることができなくなり、暑い盛りに一日中出歩いてふらふらになってしまう、という状況でした。夕食を誰かと一緒に食べられれば大丈夫だと言うため、週に5日我が家で夕食を食べることになりました。1年前からは週4回になりました。おいしいもの好きな彼女のために、他人を意識した料理と掃除をするのは、暇とは言え大変です。彼女は夕方から3時間半ほど滞在するので、やりたいことの時間も削られます。食費もかさみます。それは仕方ないと思っていましたが、裕福な環境で生活し、美人で人に何かやってもらうのが当然、で来た彼女と、人に何かしてあげる方が主だった私で、もしかしてこれはモラハラではないかと思えてきてしまいました。彼女は私の出身地(普通のベッドタウン)をひどく馬鹿にしたり、私の容姿(十人並み)を間接的に馬鹿にしたり、その他も意地の悪い発言が多く、さらに、人は皆利己的なのだから、人に何かしてあげるのだってそれは自分が良い人だと思われたいからに過ぎない、と言いました。私が、それはそう、情けは人の為ならず、自尊心のためよね、と言うと、それがわかってるならいいけど、と。旅行に行くのに自分の大型犬を私に預ける日のことです。しかも、私はなんでもよく覚えているのに対し、彼女は自分が言ったおかしな発言をすぐに忘れてしまいます。
正しいことをしたい、人に親切にしたい、と思ってきました。このようなことが課せられているのも、自分が犯してきた過ちを埋め合わせるための試練なのかなあとも思う一方で、断らないのは言えない、決断力がないだけだ、とも思えます。さらさらと流していくべきなのか、もう断ってしまうべきなのか、分からなくなってしまいました。ご意見をお聞かせいただければと存じます。
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あなたは優しい人ですね。
でも少し頑張り過ぎかもしれないですね。
友達のために無理して料理や掃除をしなくても、普段通りの料理と掃除でいいと思いますよ。
友達が何か悪い言葉を使ったら、たまには、そんな事は言っては駄目ですよ、と教えてあげましょうね。
情けは人の為ならず、というのは決して自尊心の為だけではありません。人に情けをかけると、それが回り回っていつかは自分に返ってくるという意味でもあります。それが現世か来世か、どのような形で返ってくるのかは仏様でないと分かりませんが。
いきなり縁を切るよりも、これからはもう少し力を抜いて、友達に合わせ過ぎないようにしながら、お付き合いされてはどうかと思いますよ。
友達がいても平気で見たいドラマ見たり、お昼寝できるくらいの気持ちでね。
質問者からのお礼
なすべきことをなさなければ自尊心が保てない、あるいは自分が人に迷惑をかけたことの埋め合わせ、という考えはありましたが、かけた情けが返ってくるというのは、それ以上にダイレクトなのですね。そうすると、善行も利己的という彼女の言葉も、無礼ではあっても不当ではないですね。ご忠告を得て、失礼な発言をされても流し、状況がゆるす間は続けようと思います。
見ず知らずの者のために良きお言葉をくださいまして、ありがとうございました。