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仏像はどうして太っているのですか?

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釈迦苦行像など痩せている仏像もありますが、基本的に仏像はふくよかな仏像が多いですよね?ふくよかな仏像だと(食)欲に溺れている印象になってしまうのですが、釈迦様の晩年は太られていたのですか?

なぜ、ふくよかな仏像になったのか気になります。


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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

満たされ の 視覚的な表現

私が同じようなことを不思議に思ったのは、最近のアニメは、目が異常に大きい、ということと、眉毛が下にあるはずなのに髪の毛の上に描かれている、ということです。
ここに、なんとなくヒントを感じました。かわいらしさの表現として、目が大きくなる。
どんな表情なのかをくみ取れるように眉毛が髪の毛の上に描かれる。
視覚的な表現として、見る側に訴えるには、無限の表現が可能、ということです。
さてさて、仏さまがふくよかなのは、そのふくよかさのみならずや各国の最上の理想が反映されている、と捉えると思います。
韓国の仏像は逆に痩せています。
飢饉、食糧難、枯渇の時代には、ふくよかさが豊かさの象徴でもあったそうです。
それとは別に、仏教美術には精神的豊かさを印象として与えるために、様々な視覚的な表現があります。
ふっくらとしている、どっしりとしている、安定感がある、落ち着きがある、黄金色、目を見開かない、穏やかさがある、体型もそうですが、彫師、仏師側からの意見としては、その表情も見てほしい、仏教者側からは、その体型のみならず、表情、雰囲気から、その作品があらわしている仏心という精神性がは「どういうことをあらわしているか」をくみ取って頂きたいと思います。
太っているのではなく、心の満たされをあらわしている。
実際に金色の皮膚であったのではなく、それほどに神々しかったのである。
と、するならば、その中身をあなたが求めるきっかけになりますよに。
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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

実際には痩せていたのでは…

mochivationさま
なごみ庵の浦上哲也と申します。

仰る通り、釈尊苦行像は激ヤセですね。お釈迦さまが出家なさって6年間苦行をされたお姿を表していて、引っ込んだお腹から背骨が見えるほどです。
http://www.higashino-kobo.com/gallary/kugyouzou.html

ただ、苦行を止めた後も午前中にしか食事をしない戒律がありますので、ふっくらされることはなかったのでは、と思います。

天野さんのお答えに少し触れますが、おそらくどこの国でも近代以前は、富と健康の象徴でもあったでしょうし、ふっくらしている方が好ましい外見だったのではないでしょうか。日本でも、平安美人は下ぶくれの顔をしています。

仏像の中でも金剛力士などはムキムキですね。やはりふっくら好き、ムキムキ好きなど、昔の人の好みも様々だったのでしょうか。

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横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗の教えが好きで、それを人に伝えたいと思い、自宅で法話会を始めてご縁の輪が広がりました。
相談の日程や時間はご相談ください。

仏さまの身体的特徴

仏さまの身体には、見てすぐにわかる特徴が32あります。
「仏の三十二相」といいまして、身体が広大で、両肩の肉付きがよく、頬は獅子のように膨らんでいる…などあります。手や足の裏までふくよかだそうです。
仏教が生まれた南アジアと日本では美意識も異なります。
例えばミャンマーでは女性に「太ったね」というのは褒め言葉ですし、僧侶の外見は丸顔でふくよかなほうが好まれます。(おめでたい感じがするのだそうです)日本人的には確かに、痩せているほうがストイックそうで好感が持てるのかもしれませんね。

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すべての道はローマに通ず?!

私は高校生の時、世界史で習った記憶がございます。仏像はもともとギリシア彫刻がインドや中国、日本にシルクロードを通って伝わって今の形になったと記憶がございます。法隆寺などの古代のお寺の柱はパルテノン神殿のエンタシスの影響を受けてます。
 布袋さんなど七福神がやたら太っているのはお腹の中に幸福が詰まっていることを表しているそうです。
当時の芸術家達のセンスや表現力、職人魂がこのような形になっていると思います。夏目漱石の『夢十夜』にも運慶が金剛力士像を作る過程が物語として載っています。
 この説皆さんは信じますか?学説は絶えず変化をしますので今の説はどうなっているのか私には解りません。でも、学生の頃このように習った記憶がございます。

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目指せ!となりのお坊さん あなたの小さな悩み相談お答えします  私があなたの悩みを解決するのではありません あなたの悩みを解決するお手伝いを私がするのです ちょい悪坊主を目指しています。尊敬する人は一休さん。
ここだけの話し  どんな些細な質問でも回答します! ・私の目指す僧侶は一休さんのようなちょい悪坊主です。時には常識にとらわれずとんでもないことを言いますが、しっかり受け止めて下さい。私もしっかりとあなたの質問を受け止めたいと思います。 ・先ずは30分からで、システムに慣れたら時間を延ばしたいと思います。

それぞれ意味があります

mochivation様へ

同じようなことを疑問に持たれている方も多いと思います。
当時の世相。当時の考えを表していると思います。

そのお姿が
それぞれ当時のなにかの象徴であったのでしょう。
仏像に触れてみて当時のことに思いをあわせる。
そういう見方、関わり方も仏像のおもしろさではないでしょうか。
ぜひいろいろな仏像に触れてみてください。合掌

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「人の一生に寄り添うことのできるお寺」を目指しております。さまざまな御縁を基とし、より多くの方々に御参拝いただき、御本尊様などから御利益を授かることを願っております。 また、本来お寺の持つ機能として、「学び」「癒し」「楽しみ」などがあったとお聞きします。 あらゆる可能性に対して、日々精進しながら日々模索しながら、多くの方々との御縁がつながっていくことを願っております。合掌

質問者からのお礼

ありがとうございます!南アジアの美意識が反映されてるんですねー!
勉強になりました!

浦上さま
>富と健康の象徴でもあったでしょうし、ふっくらしている方が好ましい外見だったのではないでしょうか。

非常に納得いたしました。釈迦様が現在の仏像をご覧になられた時に『そんなにデブじゃない!!』って怒るんじゃないかと心配しておりました。^^

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ