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さっぱり理解できません

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有り難し有り難し 24

自分を肯定すること、認めたり許すことが
幸せに生きるためにどうして必要なんでしょうか?
そのままの自分でいてずっと不幸だったのに
その不幸の原因になった自分を許してみて
何になるのかわかりません。
今の自分でなくならないと幸せにはなれない気がしています。
今の自分が不幸の原因だったのなら、今の自分が消えてくれないと
このままいやな人生のままだと思ってしまいます。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

頭で理解しようとすると迷宮入りするかも…

これまでの人生が不幸でいやなものだとお感じになっているのは、「そのままの自分」が原因と言うより、そのままの自分が認められず責めたり、そのままでなくなろうともがいてきたりしたからではないでしょうか。

だからこそ、「自分を認めたり許したりしなさい」とここhasunohaでも私を含め回答僧は説くことがあります。

しかしこの変のニュアンスは非常にややこしいというか、どうも頭だけで考えると思考や言葉の遊びという迷宮に陥りがちです。
ともすると「自分を認める」ということが「自己正当化」と同義に捉えられる恐れもあります。

あえて言語表現するなら、「そのままの自分を認める」というのは「自分が自分の考えで認める・認めない以前に、この自分は自分でしかないと目覚め受け入れる」という感じでしょうか…。
そしてその「自分を受け入れる」というのも、観念的な自分の考え方によるものではなく、「自分が自分を受け入れられない時でも、この自分を受け入れてくれる法(教え・はたらき)がある」と目覚めるのが仏教の信であります。
ここで「受け入れてくれる」と表現はしましたが、その信は自覚教である仏教においてはやはり自分と離れてあるわけではないので、別に仏様が心の中に現れ出てきて「ヨシ!お前を受け入れよう」とか言ってくれるというものでもなく…というようにこの辺の微妙なニュアンスをすっとばして言うと単純に「自分を認める」とか「許す」とかいう具合になるのだと思います。

おっしゃる通り、自分には自分の好きな部分や嫌いな部分があり、その嫌いな部分をなくせてこそ初めて自分を肯定でき、そして幸せになれるのではないかというのは理屈としてはわかります。

しかし肯定しようが否定しようが、好きだろうが嫌いだろうが、自分が変わろうが変わるまいが、いつでも自分は自分でしかないのです。
(もっと言うならば自分という枠組みすら霧散してしまうのが仏教かもしれません)

不幸の原因であったと自分が解釈する自分のある部分を、自分が自分で変えてその結果自分が認められる自分になり…ってその自分自分とごちゃごちゃ分析して実体化して問題とするものをまるごと投げ捨ててまるごとの自分として引き受けましょうという話しではないでしょうか。

その辺を順を追って説きほぐしてくれるのが念仏であったり座禅であったりと各宗派の教えの体系なのだと思います。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
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質問者からのお礼

お礼遅くなり申し訳ありません。
認知療法等を用いて、この問題に取り組もうと思います。

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