心の開放回答受付中
いつも心の答え合わせをありがとうございます。
引き出しに数年前の手帳がありパラパラとめくっていつになく過去を振り返っていた時 疎遠だった父の命日が記されているのを目にしました。
その日を思い出すこともなく数年経過した今、たとえ親であってもその関係性によって命日さえも思い出さない、思い出せない自分がいました。
亡くなったことを知らされても悲しいという気持ちも湧きあがらない。泣いてもいない。泣けない。
ただ「もう会うこともない」としか思えない自分がいます。
今私は、おかげさまで仕事、趣味、たぶん自分の今までの人生の中で穏やかで自分の望んだ生活を手にしていると思ってます。
その中で時々こうしてふと思う父への無関心。
つくづく父への希薄な思いがとても冷たいと思うと同時に、もう会わなくて済むというほっとした気持ちのほうが大きい自分にも気づかされたり。
今生では父と私は親子であったとしても関わらなくてよい関係だったのだろうと受け止めています。
命日も多分これからも忘れてしまうと思うし、思い出すこともないと思います。
それほど希薄な親子というものはいるのでしょうか?
私のこのこだわりはもう私の中で終わらせたい。
どうか答え合わせをお願いいたします。
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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miru7755 様
家族の形・親子の関係はそれぞれなので、希薄な関係も多々あると思います。
長い間離れて暮らし、何年も会わない状況は当然そうなるでしょう。
それは、でも子供側のあなたがそう思わされているのであって、
思わせてしまった、父側に責任はあるのでしょう。
だから、希薄なことで、自分を責めたり、自分のせいとか、冷たいとか、薄情とか自分が悪いような思いを持たなくていいのだと思います。
あなたが今、穏やかな生活・暮しをしておられるなら、そのままその穏やかさを感じて暮らしていけば宜しいかと思います。
もしどうしても気になるようでしたら。あなたなりの出来る範囲で、お父様に合掌礼をするような供養をなさればよろしいでしょう。
もし、ネガティブ的な苦しみや辛さや怨みとか怒りとか感じて供養など出来るわけないのなら、自分の気持ちを尊重して、今の穏やかさに充分浸って、そのネガティブ的な感情をなだめるようにしましょう。そしてお父様のことが浮かんで来たら、テレビのCMを見流すように、流してしまっていいでしょう。流したらまた自分の穏やかさに戻るように、深呼吸を繰り返したり、その出来事を忘れるくらいの大好きなことをしましょう。
それで安心を感じるなら、そのままでいいのです。
参考にしてください。
質問者からのお礼
わたしの思いを否定せず、受け入れてくださりありがとうございます。
ホッとしました。
恐怖と嫌悪、決して許せない人への思いをそっと手放し、相手ではなく、自分を許そうと思います。聞いてくださり、優しいお答えに感謝します。ありがとうございます。