東日本大震災による犠牲の受け止め方
東日本大震災で多くの方々が犠牲に合いました。その方達は何も悪くないのに、苦しく辛い経験をされ、一方で私は元気で生きています。ガザやウクライナでの戦争も同じです。なぜこのような理不尽な事が起こるのでしょうか。
私には答えが出ません。お坊さんはこの厄災や理不尽な不幸をどのように説明されますか?
できれば宗派も教えて頂きたいです。
お坊さんからの回答 6件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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仏教から見た“苦しみ”の意味
あなたの問いはとても深く、そして多くの人が一度は胸の奥で感じるものです。
震災や戦争で命を落とされた方々は何も悪くありません。
それでも、この世界に「理不尽な苦しみ」は確かに存在します。
お釈迦さまもまた、まさにこの“理不尽”を見つめた方でした。
1. 「人生は苦である」という真実
仏教では、生きることの出発点を「苦」として見つめます。
生まれ、老い、病み、死ぬこと、愛する人と別れ、願いが叶わず、理不尽な出来事に翻弄される。
これらすべてが“苦”とされます。
つまり、苦しみは誰かの罪の結果ではなく、生きることの宿命そのものなのです。
お釈迦さまはそれを悲観ではなく、「真実の理解」として説かれました。
2. 「なぜあの人が?」という問いの限界
理不尽の原因を「誰のせいか」「なぜ自分でないのか」と探しても、
人の理解では到底追いつけません。
仏教では、この世のすべては無数の因と縁が重なり合って成り立つ「縁起」と説かれます。
それは神の罰でも運命でもなく、人知を超えたつながりの中で起こる出来事です。
だからこそ、「なぜ」ではなく、「今をどう生きるか」が問われます。
3. 苦しみは「つながり」の入り口
震災や戦争の苦しみを前にして、私たちは無力を感じます。
しかし、他者の痛みに心を動かすその感受性こそ、慈悲の芽です。
「なぜ自分だけが生きているのか」と苦しむ心も、
実は亡くなった方々を想う“祈り”の形です。
悲しみは、分かち合うことで祈りとなり、他者を包む力へと変わっていきます。
4. 理不尽の中に光を見る
理不尽は人の理屈では説明できません。
けれど、その中にも確かに“人の優しさ”があります。
瓦礫の中で助け合った人、誰かのために祈る人、
そしてあなたの「なぜ」と問う心、そのすべてが、苦しみの中に咲いた仏の心なのです。
お釈迦さまは言いました。
「苦を知る者は、他の苦を癒す道を知る。」
5. 最後に
仏教は「なぜ」よりも、「どう生きるか」を問います。
答えを探すよりも、祈りながら生きる。
悲しみを抱きながらも、誰かに優しさを向ける。
それこそが、亡くなられた方々への何よりの供養です。
どうか、あなたの優しさが苦しみの中で消えてしまいませんように。
それは、理不尽を超えて生きる“人間の尊さ”そのものなのです。
ちなみに私は真言宗僧侶です。
合掌
理不尽なのは私たち衆生の振る舞いです
曹洞宗の僧侶です。
天災や人災で命を落とされる方は大変お気の毒ですが、その事自体は理不尽ではありません。縁起によって、原因から結果が生じたと捉えるほかありません。
地震によって、あるいは戦争に巻き込まれて命を落とす人がいることは明らかに悪い結果ですが、それは必ず原因があることです。どのような無辜の人でも、因縁によって抗う術なく命を落とすことはあり得ます。
私たち衆生は、「あらゆる事物は常に変動して、一瞬も止まることはない。あらゆる現象は苦しみによって生じ、また苦しみを生ずる。あらゆる存在は縁起によって成り立ち、特別な実体ではない」という仏の智慧の真理を受け入れられない(理を尽くしていない)ために、そもそも理不尽な振る舞いをするのです。
他でもない特別な存在である「私」が、自分の欲求をかなえて存在し続けるために、理を尽くさない振る舞いをするのです。
「苦しく辛い経験をされ、一方で私は元気で生きています。」と心に衝撃を受け、切ない思いをされることも、広く捉えれば「外界の有り様が自分の思い通りならない苦」「悲惨な状況にある人を目にした苦」に対して、それを理不尽な事と捉えることで、「私」の外部にくくり出す振る舞いとも言えます。
以前、東日本大震災を「天罰だ」といって批判された政治家がいましたが、「理不尽な事」と捉えることも、程度の重い軽いはあれ、形としては同じものであると言えるかもしれません。
曹洞宗の僧侶であった良寛さんは、地震にあった知人への見舞い状に「災難にあう時節には災難にあうがよく候。死ぬる時節には死ぬがよく候。これは災難をのがるる妙法にて候」(災難にあう時は災難にあうのがよい。死ぬ時には死ぬがよい。これが災難を逃れる上手い方法です)と書かれたそうです。起きた事柄を起きた事柄として、身をかわさず受け止めるしか方法はないといっておられるのだと思います。
当然、世界の大きな状況に対して個人のできることはごく小さく限られますが、理不尽な事として捉えるだけに止まることが、自分の理不尽な振る舞いになっていないか、常に自分の心と行いを観察する必要があるというのが仏の教えです。
諸行無常。煩悩が自他の苦しみを増やす
私は浄土宗僧侶です。
世の中は諸行無常であり、必ず壊れて滅びます。
自然災害、人災、ウイルス感染や熊に襲われる場合もあります。
そのような不安定で危うい世界に生きているのが私達なのです。
また、仏様のように悟っていない私達には、欲・怒り・怠け・プライド等の煩悩があります。
私達は、煩悩によって自分や他者の悩み苦しみを増やす言動をやってしまいます。
「あれをしたい、もっと続けたい」等の欲。
「嫌だ、憎い、むかつく」等の怒り。
「気を抜きたい、手を抜きたい、休みたい」等の怠け。
自分の価値を気にして他人と自分を比べたり、自分の考えに固執したり、自分の立場を誇示しようとするプライド(慢)。
これらの煩悩によって、争いや事故を繰り返しているのが私達なのです。
なので、私は「世の中そういうもんだ」と思っております。
悟って(成仏して)そのような煩悩が無くなれば、悩み苦しみから卒業した涅槃(ねはん)という境地に入れます。
ただし浄土宗では、この世で悟るのは難しいので、まずは悟りやすい環境である極楽浄土に往生(転生)するために、「南無阿弥陀仏」と念仏を称(とな)えます。
極楽浄土に往生すれば、無量の寿命を与えられ、悟るまで死なずに修行し続けられます。
また、極楽浄土の住人には自分と他人を差別する感覚が無い、つまり争う必要も無いのです。
極楽浄土には今も阿弥陀仏という仏様がおられますが、我々がいる娑婆世界の仏様であるお釈迦様は2500年前に亡くなられています。
それもあって。この娑婆世界は極楽に比べてはるかに苦しみが多いのです。
タイミングや巡り合わせの中で
拝読させて頂きました。
あなたは東日本大地震等の震災で亡くなられた方々やイスラエルガザ等の戦災で亡くなられた方々は何故そのように理不尽な亡くならなければならなかったのか?と思っておられるのですね。詳細なあなたのことはわからないですけれども、あなたがそのように思うことはとてもわかるように感じます。あなたの思いを心より受け止めさせて頂きます。
私は浄土宗の僧侶です。
おっしゃる通り遥か昔から今まで幾多の震災や戦災や疫病が起こり、何の罪もない方々が亡くなられていきました。それは数限りなく無限にあります。何故亡くならなければならなかったのかは正直なところわからないです。
しかしそのように亡くなられたことは自らの行いによって亡くなったのではなくて様々な巡り合わせの中で亡くなられたのです。その時のタイミングやご縁や巡り合わせによって亡くなることはあります。
災害だけではなく事件や事故によって亡くなる場合でもその一瞬のタイミングによって亡くなる場合があります。ですからそのような場合その人のせいではありません。それは非業の死というものです。
ものごとには不思議な巡り合わせがあるのです、私達では計り知れないことなのです。
大切な人を震災や戦災や事故や事件によって亡くすことはとても悲しいですし辛いですし、なかなか割り切れることではありません。どんなに悔やんでも悔やんでも悔やみきれないこと、割り切れないこともあります。
そのような辛く理不尽としか思えない中でも仏様は必ずお亡くなりになられた方々を全てお救いなさって下さいます。
戦災や震災や疫病や飢餓や事故や事件によって亡くなられた方々も全て仏様は迷うことなく平等に救い仏様の浄土へと導いて下さいます。
お亡くなりになられた方々は仏様のもとにて先に逝かれた親しい方々やご先祖様に迎えられ、一切の迷いも苦しみも痛みからも救われて何の憂いもなく、安心なさってご成仏なさっていくことができます。
あなたが与えられた命や人生に感謝なさり、充実して毎日生き抜くことができますように心よりお祈りさせて頂きます。
そしてあなたが天寿を全うなさる時には必ず仏様や菩薩様や神様があなたを優しくお導き下さり、ご先祖様が優しくお迎え下さり再会を果たされますように切に仏様や神様やご先祖様にお祈りさせて頂きます。至心合掌 南無阿弥陀仏
悪い、とは何を指すか?(文字制限のため一部削除加筆)
こんばんは。初めまして。「何も悪くない人が酷い目にあい、悪さをしている人が金儲けしている」という話は時々目にしますね。
では「悪い人」とは何でしょうか。
①法律違反でしょうか?もちろんそこには軽重があります。
②では、「違法ではないが嘘をついた」はどうでしょうか?
③その気はなかったが、他人を傷つけてしまった、はどうでしょう?
④鶏肉を食べた、はどうでしょう。命を奪っていますね。
次に、私たちはいったい悪事を働いたのか?を振り返りましょう。
①は人によりますけれど、②〜④は、正直どなたにも心当たりがあるのではないでしょうか。私は①②③④あります。
でも私は震災で死ぬことはなかったし、今のところ空爆にも遭っていません。
「悪いことをしたら悪い結果になる。悪くなければ悪い目に遭わないはずだ」というのが、あなたの思う「理不尽でない世界」なのでしょう。
震災で犠牲になった方が、では「みな何も悪いことをしなかった」のか?それは一括りにできませんね。理不尽に見える死もあれば、そう見えない死もある。因果の網の目は、私たちには見通せません。
さて、ではいったい何が起きているのでしょうか。
地震は、地球のメカニズムによって起きています。戦争は、政治や外交の失敗によって起きています。「起こること」自体には理屈があります。そして、地震や戦争が起これば、誰もが巻き込まれていく。現地にいるからです。それは、悪いこととも良いこととも言えません。
そろそろ私の結論を申しましょう。
自然の力は、人間をはるかに凌駕します。政治の力は、一個人を凌駕します。その前で「俺は悪いことしてないのに!」と叫んでも地震は止まりません。そもそも「俺は悪いことしてない」だって、怪しいものでしたね。
だから。地震の来ていない今ここで。戦争の起きていない今ここで。できること、良いと思えることを精一杯行う。「なぜ理不尽なことが起きるか」という問題に悩むのは自由ですが、もしかすると、問いの立て方そのものを少し変える必要があるのかもしれません。
追記です。
はて。「この誰でも一度は考える根源的な問い」とのことですが、その問い自体が揺さぶられていることにお気づきですか?「私の問いに答えていない!」と言う裏で、「これは問題に違いない」という執着に囚われているのですよ。又は「聞いてみたかっただけ」かな
苦しさ、悲しさ、痛ましさは、優しさへと転じましょう。
世界にはもともと人間のルールが存在しません。
今日の天気一つもあなたも私もどうすることもできません。
中国ではそれでも降雨ミサイルと言って自分の持ち前の畑に雨降らすというようなことを民間レベルでやってしまっていますが、我田引水、それも人間のエゴや都合です。
物事を人の力で「変える」ということの真実の在りようから学んでみますと、人がこれAをこういう状態CDEF…にする、というBという行為は、天地自然のはたらきとして行われることであっても、人間がやっている事であっても本当は人間の価値観や希望とか願望が伴われて「いない」カタチで「それがそのように❝おこなわれてしまって❞いる」という真実があります。
たとえば、トマトの実を「実らせたい」としても、それは人間の力でやっているのではなく、トマトそのものの生命の力や天地の空気や水分や日の当たり具合などの恩恵によっておこわれていることなのです。
階段を上るという事も、足を上げて上の段に足をかけてそこを軸に体重を前にかければ一段上れて、それを繰り返せば何段ものぼれるけど、やがて足は疲れて動かなくなる。これだって自分が決めていることですかね。
そこに理不尽はありません。
そこに人間の願望や希望、価値観は無縁です。
自分の体一つだって疲れれば階段ものぼれない。
自然界ならなおさらです。
地震だってそういう面があります。
この地球がそもそも丸いのだって誰がそうしたわけでもなく地球に人工的な意志があるのでもない。
人間が人間の価値観やルールで考えるから理不尽であるとか不幸ということが思いの上で生ずるのでしょう。
不運と不幸とは異なると言います。
不運には人の意志や計画がある訳ではありません。
それを不幸だった、いやだった、かなしい、何でこんなことにと思うのは人間の人間による人間の価値観や評価の上での行いなのです。
だからこそ、人間の世界の価値観からすれば、本当に悲しくて痛ましいことが現実にある訳ですから亡くなられてしまった方、ご遺族、被害に遭われた方も本当に可哀そう。支援を必要とされておられます。悲しみや理不尽だと思う心は大慈悲心、優しい心に転ずる工夫をしてみて下さい。
戦争という愚かなことをする人も、人間世界の本当の最高の価値観を知らないから自分もされて嫌な攻撃行為をしているというだけなのです。
宗教宗派や国境を超えた慈悲心を持ちましょう。
質問者からのお礼
皆様ありがとうございました。大変参考になりました。
佐藤様
私の書いた相談が、説明不足だったようです。
生きることは苦しく不平等で理不尽である、それを私がどう対処するか、解決するかではなく
この誰でも一度は考える根源的な問いを、各宗派はどう捉えているかを説明して頂きたくご相談申し上げました。なお、地震の備えも人道支援もしております。



職業柄、人生相談はこれまで多数受けてきました。
ぜひご自身の本音を出してください。向き合ってください。私は伴走させていただきます。
理学療法士でもありますので、これまで急性期から終末期まで患者さんを担当。
町の診療所から在宅までキャリアを築く。2歳から108歳まで患者さん担当。
また、コンサルタントでもありますので
メンタルヘルスから新規事業、マネジメント、チームビルディングまで相談並びに研修対応可能。
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