痴漢や変質者
私は、自分の家の近くで、小学4年生の時に痴漢に遭い、高校3年生の時に変質者に遭いました。
それ以来、男性に対して、どうしても、恐怖や怒りや気持ち悪さを感じてしまいます。男性とお付き合いしても、体に触られたりする事がどうしても恐怖でたまりません。
痴漢や変質者に遭った事を、早く忘れて楽になりたいのですが、犯罪者に屈するような気がして、それがとても悔しくて、なかなか忘れられません。
自分より、もっと酷い目に遭った方々は、たくさんいると分かっていても、「なんで私なの?なんで他の子にしてくれなかったの?なんで私だけこんなに苦しまなきゃいけないの?」と、考えてしまう自分にも、とても嫌気がさしています。
もうかなり昔の事で犯人も分からないですし、もう全て忘れて、自由に、楽になりたいです。でも、それは犯罪者に屈する事にならないでしょうか?犯罪を黙認するみたいで、本当に嫌です。
一体、どのように考えれば、この苦しみから解放されるでしょうか?
どうか回答をよろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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痴漢・変質者≠「男性」
仏教では、「法は無我である」と考えます。
頭で考えた概念は実体のない幻みたいなものだ、というような意味です。
これは、人生の悩み苦しみを解決するために役立つ考え方です。
あなたが出会った変な人は、痴漢1名と変質者1名の合計2名ですよね。
一方、男性は、地球上に何十億人もいます。
あなたが今までの人生で出会った男性だけ数えても、同級生とか色々含めて何百人くらいはいるでしょうか。
しかしあなたは、たった2人の変態のために、頭の中で「男性」の概念を創作してしまっています。
たなたが頭で考えている「男性」は、実体のない幻みたいなもの、無我なのです。
「犯罪者に屈する」という概念もそうです。
実際に目の前に犯罪者がいて、その相手と対決したり裁判している状況で負けたのなら、それは「屈した」と言えるかもしれませんが、
あなたは、目の前にいない実体のない「犯罪者」の概念と頭の中で勝手に、意味不明のルールで戦って、「屈する」とか気にしています。
全部、ぜんぶ、ぜーんんぶ、無我です。
残念ながら、あなたは無意味な戦いを頭の中でしています。
そこから脱したいなら、是非、仏教を学んでみてください。
あと、あなたは、蚊に刺されたことをいちいち憶えていますか?
変質者より蚊の方が、よほど危険な病を運んでくる可能性があります。
しかし、いちいち気にしてたら生活できない。
たった2匹の蚊。
気にする価値もない奴らでは?