自分が許せない
長男にたくさんのことを教えてもらいました。ハスノハとのご縁も長男のおかげです。
長男にもここのハスノハの皆様にも感謝しています。
でも、どうしても我が子に生きる希望を示すことができなかった自分が許せません。
なぜ長男なのか。私だったらよかったのにと思います。
自分の思考にとらわれています。
目の前の事実を、目の前の人を大切に、生きる努力をしています。
我が子に先立たれるのは悲しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ご長男は、尊い仏様という事実を頂いて下さい。
あなたは悲しみ、泣き、そして御自身を責め、苦しめていらっしゃいます。
おつらいご胸中をお察し申し上げます。
まず、ご長男は故人ではなく『仏様』とお生まれになられたことをしっかりと頂いて下さい。その根拠はあなたにあります。あなたが心配でならないからこそ亡霊などでなく、あなたを救う尊い仏様とお生まれになられたのです。あなたのために仏様とお生まれでいらっしゃいます。
そして、あなたはご長男が命閉じられたことを嘆き悲しんでいらっしゃいますが、その実、『我が子に先立たれるのは悲しいです』とおっしゃっておられるように、御長男が命閉じられた事実以上に、「あなた御自身がご長男に先立たれたこと」を悲しんでいらっしゃるようです。どこまでいっても、どのような状態におかれても、あなたの思いの中心はあなたにある、あなたにしかないのです。
このことを煩悩と申します。煩悩はあなただけでなく、私も、人間皆が持っているもので、それが自分自身の苦しみの種となっているのでした。
その事実を明かし、煩悩を捨てることを説くのが仏教です。
でも、人間は煩悩を捨てることは出来ません。煩悩は喜び、楽しみの種でもあるからです。
だから、阿弥陀という仏は煩悩を抱えた私を、条件付けずに必ず浄土の仏とせしめると誓われたのです。
そのことを頂けたときに、あなたにご長男と同じ仏の命が約束されます。また浄土で仏同士再会させて頂けることが約束されます。そして再会出来るならば、再会したときに「私はあなたが仏となった後、このようにちゃんとしっかり生きてきましたよ」と報告できる生き方をしなくては…と思います。
でも今後、そんなふうに立派に生きていける自信はない…そんな思いのあなたを支えて下さるのが、「今のご長男、すなわち仏様」のおはたらきです。
故人…消えた存在でなく、ご長男は仏様とお生まれであるということを繰り返しお味わい下さい…そしてその根拠は『今、現に悩み苦しんでいる私の為であった』ということをしっかりお味わいくださいませ。
仏様(ご長男)に苦しみはありません。あなたに苦しみはある、だから寄り添い続けて下さるのが仏様です…。
質問者からのお礼
小林様
ありがとうございます。
長男には苦しみがない。それで充分です。
いただいたお答えを何度も読み返し、自分と向き合っていきます。
本当にありがとうございました。