地獄について
人間は殺生罪などを犯しているので死後は必ず地獄だと聞きました。
死後が必ず地獄であることを釈迦は言ってますか?
言っている場合、どの経典に書いていますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
そんな単純な話じゃありません
複数の経典に見える有名な話ですが、アングリマーラという人は99の殺人を犯しました。しかし100人目でお釈迦さまに出会い、会心して弟子となります。そして人々の迫害を耐え、善行に励み、やがて悟ります。そのため地獄には墜ちていません。
殺生したら地獄確定!というのは、カルト団体や霊感商法、スピリチュアルでよく言われる脅し文句だと私は認識しています。「あなたは殺生罪により地獄行きだからウチに入信してorこのグッツを買って救われなさい」という常套手段です。
ダンマパダの地獄の章でも基本的に「邪(よこしま)であるな」という表現とそれに近いものばかりで、具体的な行為については他の婦人に手を出す、つまり不倫くらいなものです。
その手の脅しはツッコミどころだらけですよ。そもそも論な話、戒律力0からスタートしてだんだん戒律に則った生活を身に付けましょうという話なのに、最初が100点で悪行をするたびに減点されるような話になっている時点で、その手の説明は全部信用できないと分かります。
戒律主義の上座部のスマナサーラ長老ですら、殺生について
>あまり原理主義的に考えると、身動きができなくなるのです。〈中略〉私たちは、文字どおり中道的に生きるしかないのです。「完全に戒律を守って、完全な善なる生活ができる」と思うところがそもそも間違い、勘違いなのです。
(『サンガジャパン』vol.15,2013)
とおっしゃっています。なのに殺生罪イコール地獄という話になる訳がありません。なるとしたら、「だから仏教じゃ救われないんですよ。ウチの教団に入信しなさい」というロジックだけです。
もっと言えば、集団のルールである律なら分かるのですが、個人の努力目標である戒に殺生『罪』と法律のような言い方をするのはナンセンスです。
そもそも殺生は害意の抑止・慈しみの奨励であって、死なせたという結果の禁止じゃありませんし。
まだまだ書けばキリがありませんが、本当にツッコミどころだらけです。
なお、末法思想は『完全に戒律を守って、完全な善なる生活ができると思うところがそもそも間違い』という本来の話を『完全に守って、完全な善なる生活をすることが修行なのだから、我々は修行する能力を持たない』と話をすり替えたものですので別枠です。hasunoha回答僧の宗派に意識して回答を観察しているとよく実感できます。
言ったかどうかは分かりません。でもそう聞いた人はいます。
釈迦が言ったのか?というご質問に対しては
言ったという論文は不勉強のため分からないです。
でも、「私はこのように聞いた」(如是我聞)から始まるお経なら身近にあります。
「言った言わない」という1人称の考えで解決できない課題ならば(相手に)「届いた届いていない」という3人称の視点をもってはいかがでしょうか。
なお、地獄や殺生や罪の扱いについては僕も答えを探している現状です。
殺生罪とご質問文にありますが、どこまでが罪で、どこまでが殺生なのでしょうか?
降り注ぐ太陽の中で熱中症にかかってしまった人間がいたならば、太陽は罪の元凶になってしまうのか、人は野菜サラダを食べることも植物の命を奪ったことになるから殺生になるのでしょうか?
必ず地獄に落ちると言うけれど、それは本当なんでしょうか?
他者に対しての「悪い」行いをした人に対しての世界を地獄を名づけただけではないでしょうか?
keiさまが教えを聞いた方がどう捉えていらっしゃるのか、もし教えていただけそうなら私も自分の中の理解がすすむかと思います。
『スッタニパータ―』という本に・・・。
直接的には、おっしゃっていないと思います(小生の知る限りでは・・・)。
但し、『スッタニパータ―』という本に「バラモンの家に生まれても、しばしば悪い事をする者がいる。その者は現世では非難せられ、来世では悪い所へ生まれる」と書かれています。
つまり、どんな立派な家柄に生れても、悪い事(仏教では❝五戒❞を犯すこと)をすれば、現世で(バレた時)、周りから非難せされ、(バレなくても)、来世で「悪い所」へ生まれる、とおっしゃっておられます。
後の人が、「悪い所」を地獄と考えたのでしょう・・・。日本では、源信和尚という方が『往生要集』という御書物を著し、❝五戒❞を破った人が堕ちる世界として、具体的に地獄の様子を説明しておられます。合掌