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神様は平等ですか?

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有り難し有り難し 45

最近、思います。
生きるすべての人に本当に平等なのか。

神様は乗り越えられる人に試練を与えると聞きます。
でも、それは乗り越えられるのではなく乗り越えないと仕方ないとだと思います。

人は、何かしら悩みはあると思います。
でも、それほど苦労せず、順調に人生を送っている人もいると思います。
その人には、いつか試練はやってくるのでしょうか?

人の不幸を望んでいるのではありません。
生きてるすべての人が幸せになれることが一番だと思います。
でも、本当に人はみんな平等なのでしょうか?

私は、生きる意味がわかりません。
よく目標を見つけなさいという人もいます。
いくら考えても見つかりません。
頑張ろうとも思えません。
生きる目標を見つけることが神様からの試練なのでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

不平等は誰が作っているのか

世の中は不平等ではないかという考えの中にいらっしゃるのですね。

おっしゃる通り不平等です。しかし、それは「私」の視点から世の中を見た場合、つまり「私を中心に」考えた場合に生じる見解です。

確かに、同じ練習をしても皆がプロ野球選手になれるわけではありません。同じ勉強をしても皆が東大に入れるわけでもありません。生まれ持った条件や能力は様々ですし、生まれてからの境遇も様々です。

そう見ると世の中は不平等に見えることでしょう。

しかし、では上記の例で言うのならプロ野球選手になれることを良いとしているのは誰でしょう?東大に入れるのを良いとしているのは誰でしょう?その逆を悪いとしているのは誰でしょう。

全部その時の「私」なのです。「私の都合」なのです。私の都合に合うものを良いとし、合わないものを悪いとする、その私の視点から見れば世の中は不平等でしかありません。

その世において平等なるいのちに目覚めたのがお釈迦様です。全てのものは縁(えん)〔条件・環境・対象の意〕によって生まれ、縁によって生かされ、縁によって死んでいく。その点において平等です。

その縁に良い・悪いの評価をして不平等にしているのは「私」なのです。私の「価値基準=モノサシ」なのです。

世界の創造主としての「神」や運命の支配者としての「神」の存在を認めるならば、そこには「創造における神の意図」や「運命の差配における神の意志」というものも生じてくることでしょう。
しかしそういう「神」の存在を認めず、全ては「縁」による「相互依存」で成り立っている現象であると世界を見るならば、起きている出来事は「神の意志」ではなく「たまたま」です。
その出来事の背景にあるのは「(神による)意味」ではなく「そうなった原因」でしかありません。

生きる意味が分からないと嘆いても、頑張ろうと思えなくてもそれでもかまいません。あなたはあなたでよいのですから。

しかしそんなあなたでも今生かされているなら、生きる縁がととのっているならば、あとはあなたがどう生きたいのかというだけです。けして思い通りにはなりませんが、神の試練など気にせず好きに生きてよいのです。
他者と幸(良)・不幸(悪)の数を比べるのでなく、あなたがこの命というたまたまのご縁を受けてどうしたいか、そこを意識して生かされてはみませんか?

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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待っていても目標はやってきません。

ちーさんが思っておられる「神様」とはどんなイメージでしょうか?
「神様」の捉え方によっては、まったく意図しない方向でお話をしてしまうことになりますので、多くの先生方のお話をご参考にしてください。

私が思うには、あくまで私見です。
私たちは、神様に操作されて生きている訳ではありません。私たちは、理由があって、それぞれの両親が環境など縁あって生まれてきたと思うのです。
決して神様が生まれて行きなさいといったのではなく、自ら望んで選択して生まれたのだと思います。
ちーさんの今の両親、友人、環境もすべて自分で選んでいるとなると、どうでしょうか。

又、世の中の人たちも同じで、みんな自分で選んだ通りの結果になっているとしたら、どうでしょうか。たしかに不公平、不平等に見えるかもしれませんが、それも一時的なことで人を羨むことではありません。

目標がない。私もそういう時あります。何していいの分からない時あります。これでいいのか、こんな事でいいのか、本当はもっと凄いことできるのではと、いつも自問自答しています。でも、思うだけで何もしていません。だから進歩しないのでしょう。

>生きる目標を見つけることが神様からの試練なのでしょうか?
そう考えてもいいと思います。それで目標が見つかるのなら、ただ待っていても、そう意味では神様も待機しています。あなたが動けば神様もサポートするということでしょう。
やってみたいことから初めてください。必要な情報は入ってきます。

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有り難し
おきもち

日蓮宗のお寺で、名古屋市南区にあります。 ”お寺は生きている人のためにも...
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質問者からのお礼

回答ありがとうございました。
御二方のお話をお聞きして、確かに平等・不平等は自分基準だと感じました。
私は、今まで困ったことや落ち込んだ時によく神社に行っては、お願いごとをしていました。
そのご利益があったかといえばなかったと思うことが多いと思います。
神様は本当にいるのかとさえ思ってしまします。
でも、そう思うことは私は自分の人生がうまくいかないことは神様のせいだと思っているのだと思います。
誰かのせいにする時点で、私はダメな人間なんだと思います。

御二方のお話を参考に自分の今後の生き方について考えたいと思います。

お礼コメントが遅くなり申し訳ありません。

「神社・神様」問答一覧

神を信じられなくなって辛い。

カトリックですが、神父さんに相談しても解決しないので、こちらにおすがりしています。 数年前、ヒルティと言う偉人の書いた幸福論3部作に心酔しました。良い事も書かれていて非常に感銘を受けました。只、迷信も結構書かれていて、、書物や場合によっては人との出会いは導き、とか。人との出会いは導き、と言う事を信じてしまい、当時出会った人と結婚しましたが、タイプの方では無かったのですぐに苦しくなり、、やむ無く離婚を申し出て相手を非常に傷付けました。私もそんなひどい事を自分がした事に傷付きました。以来6年半経ちますが、神は何故こんな事をしたんだろうと、考えています。答えは勿論ありません。神を信じられなくなってしまいました。辛いです。神父さんとかは、その出会いにも別れにも意味があると言いますが、彼女の嘆きを見た私には、意味があったとは思えません。何でこんなひどい事を神はしたんだろうと悩み苦しんでいます。神は予定はしない、と神父は言うのですが、納得いきません。ヒルティが迷信を書いていたのを信じたのが悪かったと思っていますが、抜け出せません。どうしたらいいのかなぁ、、何卒宜しくお願い申し上げます。

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天部の神様と死について

こんにちは。表題の件について質問させて下さい。 忌中には、天部の神様を祀ってあるお寺に参ってはいけないという話を聞きました。 理由は「死は穢れで、特に聖天さんなんかは穢れを嫌うから」「天部の神様は人間に近いから、死を思い出させることで荒れ狂ってしまうから」「本当は神様はそんなこと気にしないんだけど、あなたが悲しいときに無理してお参りしなくていいよ、という意味だ」など、お坊さんによって様々なようです。 私も最近祖母を亡くしました。 祖母とは生前不仲でしたが、遺体を見ていると「生まれて生きて死ぬとは本当に大仕事で、この人はそれをやってのけたんだな。お疲れ様」と素直に見送る気持ちになれました。 死ぬのは怖いけど、それは死に際しての苦痛への恐怖が主であって、死自体はどんな生き物にも訪れるものですし、決して穢れではないと思うのです。 肉体が腐ることだって、微生物に分解され、本来なら動物や植物の糧になり、土に還るという尊い過程です。 何なら生きることより尊いと思うし、衛生管理のため仕方ないとはいえ、死んでまで化石燃料バンバン使って骨にして何の役にも立たない壺に収めて保管して、アホらし、とすら思いました。 そう考えると、「死は穢れだから」とか「天部の神様が死を恐れるから」という理由は、個人的にはあまりしっくり来ません。 人によって死への解釈や意見は違うものでしょうが、実際のところ、天部の神様にとって人間の死とはどういう扱いなのでしょうか? どうして忌中に参ってはいけないのでしょう? 現役のお坊さんの意見をお聞きしたいです。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 1
回答数回答 1

神を信じられなくなってしまいました辛い。

カトリックのクリスチャンですが、神父さんに相談しても一向に解決しないので、こちらにお縋りしています。 数年前に偉人のヒルティと言う人の幸福論と言う著作を読んで心酔しました。何度も繰り返し読みました。確かに良い事も書いてあったのですが、書物や人との出会いは導き、と書いてあったりして、当時の私は私の知らない宗教の神秘かと思い、信じてしまいました。当時出会った女性が自分のタイプでは無かったにも関わらず、運命の人だと信じて結婚しました。直ぐに苦しくなって耐えられない位になり、やむ無く別れをお願いして離婚しました。彼女は号泣して私の胸も引き裂かれる様でした。 以来6年余りが経過しますが、未だ神に逆らって離婚したと言う気持ちが無くなりません。どうして神はこんな事をしたのだろうと答えの出ない問いを続けて苦しんでいます。でも神を信じているから、答えが欲しくて。神父さんにも相談してみましたが、キリスト教も誤った解釈があるとかとは、絶対に言われないので、一向に楽になりません。地獄を彷徨っています。神が何故不幸になる様な事に導いたのかなぁ。どうか宜しくお願い申し上げます。死にたい位辛くてなりません。涙

有り難し有り難し 20
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稲荷信仰の宗教学民俗学的知見を求めてます

 最近、狐に呼ばれているような気がします。稲荷神社に参る必要性を感じているのですが、どこの稲荷神社に行けばよいのかわかりません。  20歳の時に初めて参り強く心惹かれ、なんとなく購入してきた狐のぬいぐるみを会社に居る間ずっとお世話させていただいていた京都の伏見稲荷大社が筆頭ですが、子供の頃に毎日通っていた千駄木の満足稲荷、今は両親の離婚に伴い縁のない実父の家が代々氏子を務める根津の根津神社内の乙女稲荷、生まれた病院の隣の湯島の花姫稲荷にも縁があります。現実問題として現住所が東京であるため、伏見稲荷大社以外でも失礼にあたらないのであれば、そちらに参りたくもあります。  また、昨年は自殺を考えるまで思い詰めたいた時期もあったのですが、その際に縁もゆかりもなかった女性に救われました。その方とは今は連絡が取れないのですが、不思議な人で、どうも今を思うと言動の節々や所作から、狐だったような気がしてなりません。ただ、この方は仏教系の荼枳尼天に近い気もしており、そうなると仏教系の豊川稲荷に行くべきかもしれません。  祀るにあたってリスクがあると言われる稲荷神ではありますが、それだけに失礼のないよう調査しており、また、この機会に一生祀る覚悟もあります。そうでなくとも、召喚には応ずるべきですし、もしも本当に自殺の間際から救ってくださったのがお狐様であるなら、お礼は言うべきだと強く感じています。故に、気軽に選択できずにいろいろ調べている現状です。  神仏には何かを求めるものではなく、あくまで個人の努力を応援してくださる存在として、私個人の思想と行動を中心に考えるべきということも重々承知しており、現実的な偶然を神秘的な問題と混同する危うさも理解しています。しかし、今回は、なんとなく重要な問題のような気がするので、心の問題というよりも、宗教学・民俗学的問題としての情報を求めています。  稲荷神の分霊に関して、総本宮である伏見・豊川の祭神と、それ以外の全国の稲荷神社の祭神は、神道系仏教系の同カテゴリの稲荷であればそれぞれが等しくどこからでもアクセスできるのか、派遣され憑いてくださるという眷属に関してはどのようなシステムで運営されているのか、全国の稲荷神社に参拝して信心を納めても良いものなのか、宗教学・民俗学に詳しい方がおられましたら、回答もしくは書籍の紹介いただけると幸いです。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ