hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

寂しさに負けない方法

回答数回答 2
有り難し有り難し 47

相談する相手がいなくても、「寂しさ」に負けないでいられる、そんな方法を教えていただけますでしょうか。

抗不安薬と睡眠導入剤を飲むこと以外に方法が無いので、悲しいです。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ヒニア・ブラー ジカチョク・ガンミー

さびしい自分に火に油しない、と心得ておかれるとよいでしょう。
さびしいことは誰にでもあるのです。
さびしいことは悪いことではないのです。
ところが寂しさが現れると心のなかでそのさびしい気持ちをいじるのです。
寂しさやみじめさむなしさはそれ自体は本当はそれほど長続きはしませんが、引っ張ることでギブソンのレスポールカスタム81、85仕様くらいサスティン効果が持続するのです。(その喩え何とかならんのかい)
さびしい思いは一念心。
悲しい思いも一念心。
そこにちらりと燃えた火に油を注ぐような行為を人間は無自覚にしているのです。
不安というものも、その不安にしているものを本当に見つめようとしてみるとさほど大したことは無かったりするものです。
お釈迦様をはじめ悟った人はじかでチョクでガン見と覚えておきましょう。
たとえば夜カーテンが開いてたりするじゃないですか。
私は学生時代に一人暮らしでしたから孤独な日々が続いていました。
豆電球がついていてカーテンが少し開いていました。
誰かがのぞいているんじゃないか…、そんな気がしました。
枕元にある日本刀をもって(なんで持ってんのや)、おそるおそるカーテンの先を見てみようと思いました。すると…!
なんと…!
恐ろしいことに!
うちのボロアパートはガラスが透明じゃなくて向こう側がのぞけないタイプのガラスでした。
もちろん、誰もいませんでした。
不安も消えました。
日本刀で刺し違える相手もいませんでした。
すべてはわが心の影だったのです。
そうなんじゃないか、そうなんじゃないかと思うと本当にそう思えるように脳ミソはデキているのです。
私の脳味噌(赤ミソ7白みそ3の割合)は、その働きを観察してみると、寝不足や疲れているときは、思ったことが現実よりもはるかに真実味を「帯びることがある」ということが発覚しました。みんなそうだと思います。
一瞬、脳裏に浮かんだことが現実じゃないのに現実っぽく思えるのですよ。
そこを今度ゆとりのある時に明らかにしてみましょう。
自分が何に対して不安に思っているか。
薬はなるべくやめた方がいいですから、実物で確認してその不安を取り除いてみましょう。
実際の現場で、本当にそうなのか。
そうでなはいなら何ともありません。

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

またお聞かせくださいね

拝読させて頂きました。
人はさびしいと感じる生き物です。ほんのわずかでも一人でいるとさびしいと感じてしまうものです。
周りの人々にあれやこれや振り回されて面倒くさいうっとうしいと感じてしまうことがあったとして独りは楽だと思ったとして、いざ一人でいるとやっぱりさびしいなぁと感じてしまうそれが人ですからね。
愛する人と離れなければならない、嫌いな人と会わなければならない、ものごと思うようにならない、求めるものは得られない、それが人生ですけれどもわかっていたとしてもつい求めてしまうものです。
あなたがそのように思うならばその思いを言葉にしてこの場所でも或いは周りの人々にもお伝えなさって下さいね。
みんなお互い様ですからね。あなたの思いを受け取っていきたいと思います。またあなたも周りの人々の思いを受け取ってみて下さいね。
少しずつ少しずつあなたの思いをお話しなさりながら周りの人々の思いをどうぞ聞いてみて下さいね。
多少わずらわしいことはあるでしょうし、同調できないこともあるかもしれないですけれども適度に受け流しながら人との交流を深めていってくださいね。
あなたにとっても周りの人々にとってもかけがえのない出会いでありご縁ですからね。
あなたがこれから様々な方々といろんなご縁を深めていかれ心豊かに皆さんと一緒に生き抜いていかれますようにと心よりお祈りさせて頂きます。
そしてあなたをこれからもお待ちしてますね。
またあなたの思いをお聞かせくださいね。

{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

質問者からのお礼

お礼のコメントが遅くなりましたこと、誠に申し訳ございません。
この悩みに対するアドバイス、とても良い意味で刺さりました。ありがとうございました。

Kousyo Kuuyo Azuma 様
さみしいときにはいつでも、こちらでも言葉にしてくださいと、優しくお声がけいただけたこと、本当に嬉しかったです。大人になればなるほど、吐き出せるところがなかったので、そうおっしゃっていただいて少し寂しさが減りました。

丹下 覚元(たんげ かくげん)様
とてもよいお話なのですが、ところどころ面白くて時々笑っておりました。悲しい寂しいだけの悩みに対して、面白くでも優しく深い内容で回答いただけて、心が明るくなりました。
不安を直視すると、実態は大したことはないのですね。不安というものに、じっくり腰を据えて、不安に穴が開くほど見てみようと思いました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ