己
私くしは、まだ自分が ヨチヨチ歩きの時に 誰かと
会話をしていた 記憶が なんでか ありました。
度々 今考えると 助け船を出してくれていた事も
ありました。それを 踏まえてお話し致しますが
ある日突然 私くしに 聞こえるというか
私くしの口を借りて話す存在に気付きました。
その存在は お地蔵様だと 伝わって参ります。
この世を救いたいんだと 強く伝わって参ります。
でも、その存在には 身体がございません。
私くしと 共に 生まれ生きているように 感じます。
その方が突然 私に お坊様になりなさいと
伝えて参りました。 私くしは その気持ちを無視して
生きていいのでしょうか?
私くしの話がおかしいと思うと思うので
お答え願うもよし 願わないも よし
欲世で は行というのは 成り立たない気がします。
行というのは 仏様に 関わる事で 行というのではと
思うからです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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仏さまからのメッセージ
読ませていただきました。
尊い話ですね。
なるほど、仏様から夢告(むこく)を頂いたのですね。
それでお坊さんになるというのは、よく伝記で
読むところです。観音菩薩の応化(おうけ)生まれ変わり
といったようなことです。
現実的には、お坊さんにならずとも、
あなたは在俗のまま仏教を学べばよろしいのではないでしょうか?
俗世では修行はできないとのこと同感です。
死後極楽浄土に往生(おうじょう)して修行するのだと私はおもっています。
わたしは残念ながら仏様からメッセージを頂いたことはないのですが、仏教を学ぶと
昔の人は夢告を非常に大事にしたのだと思っています。後世(ごせ)についても、
往生記というものが昔はたくさんありまして、それをひも解くに、そういう体験を
なされた人はたくさんいたのだなあと思いを馳せます。
お坊さんになる前と後でなにか変化がありましたか?私は寺生まれですが、最初は小学校1年の時で友達からおしゃかさまの子供向け伝記をもらったのがきっかけですかね。でも、当時は将来の夢に電器屋さんになりたいと書いて、親に怒られるような子供でしたね。まあ、素朴な夢ですが、「電器屋さんがお坊さんを趣味にはできないが、お坊さんが電気を趣味にはできる。」なんて屁理屈で親に説得されましてですね。ですが、小学校5年の時の得度の時点では、あまり変わりませんでしたね。東京の大本山で得度を受けたのですが、生まれて初めて秋葉原に連れて行ってもらって感激したほうが大きかったかな。それ以前から夏だけ施餓鬼会の大法要で、香炉持ちの仕事をさせられていましたし。大学三年の時の住職資格のための加行を終えたら、いろいろ考えるところがあり、また大学出てからの本山での修行中にいろいろ深まるものがあり、回心というのは段階的なものでは、ないかと思います。ある日突然変わるものではないのですね。
質問者からのお礼
ご回答頂き有り難く思います。お坊様のお言葉というだけで 有り難いです。ずっと 悩んでまいりまして、自分でも 答えが出ない状況でした。
もう一つうかがいますが、ご修行されたら
あの世の事 仏様の言葉など わかったりされるんですか?修行というかお坊様になる前なった後と 何か変化した事はありますか?
お聞かせ頂き有り難く思います。お寺様で電気いいですね 今は何でもコラボが流行ってます。色々考えても
面白いかもしれません。
お寺って 足を運びにくい場所になってくるように 思うので、、、色々な工夫でお寺をより集まり良い場所に なればいいですね(๑>◡<๑) いつか 夢くらい 見せてもらえますよ 努力されてますもん 。。変わらず頑張って下さい。ありがとうございました。
全く関係ないんですが 己というじは 逆さにしても
己ですね笑笑