生きる意味
今月頭に、母が急に逝ってしまいました。
あっと言う間に。 私は母の死が信じられず、棺の中の母を見ても実感がわきませんでした。
しかし、日が経つにつれ、なんとも言えない胸ぐるしさと悲しみがこみあげつらくてたまらないのです。 母は、いまどうしているのか、私を許してくれているのか、答えのないことばかり考えています。母の死を天命だと思いたいですが、もっとしてあげれることはなかったのか悔いることばかりです。
母は、浄土真宗を熱心に信心していました。教えにあるように浄土に行っているのでしょうか?
母は、いつもそばにいてくれるのでしょうか。
ほんとうに、つらいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お母様が急にお亡くなりになり、心中お察し申し上げます。棺の中のお母様を見ても実感がわかなかったこと、そして、日が経つにつれ、なんとも言えない胸苦しさと悲しみ、私も同じような経験をいたしております。私の場合は、昨年の冬に、一人息子を突然死で亡くしております。
私も、答えが返ってこないのに、毎日、そして何度も故人に話しかけてしまいます。亡くなってまだ日が浅い頃は別ですが、今は、故人が答えに窮するような問いかけ、故人が答えて悲しむような問いかけ、たとえば、「何で死んでしまったんだ。」「私はおまえがいなくて、もう生きていく力が出てこない。」といった問いかけはしないようにしています。故人に対して、あなたの死が、自分から生きる力を奪っている、と言ったら、故人はさぞかし悲しむことでしょう。
さて、浄土真宗では、浄土とは仏さま(阿弥陀如来)の「全ての衆生を救いたい」という願いが働いている場です。それは私たちの目に見える世界、物理的に存在する世界ではありませんが、確かにそのような世界はあり、間違いなくお母様はそのような願いが働いている場である浄土に、生まれております。
『人は去っても その人のほほえみは 去らない
人は去っても その人のことばは 去らない
人は去っても その人のぬくもりは 去らない
人は去っても 拝む掌(て)の中に 帰ってくる』
これは私の大好きな詩で、中西智海さんという和上さまがお詠みになったものです。浄土にお生まれになっているお母様は、いつもあなたのそばにお戻りになっています。手を合わせお念仏を称えるところに、お母様はお戻りになってきているのです。
以上が私からの回答です。「時」しか悲しみを癒やしてくれないかもしれません。しかし、私からの回答が少しでもお役に立てれば幸いです。
拝読させて頂きました。お母様がお亡くなりになりその現実を受け止められないでしょうし、深く悲しみの中にいらっしゃることでしょう。
あなたのお気持ちを心よりお察し申し上げます。
お母様が必ずや仏様に導かれて仏様の元で心から安心なさってくださいますようにと仏様に願い、心を込めてお念仏おとなえさせて頂きます。
南無阿弥陀仏
お母様は必ず仏様がお導きなさり仏様の元で心安らかに穏やかになります。そして仏様の元で円満にご成仏なさっていかれます。これからあなたやご家族やご縁のある方々を優しくお見守りなさってくださいます。
死は決して人を分けるものではありません。あなたとお母様とのご縁はこれからもずっと永遠に続いていくのです。
これからもお母様はあなたに寄り添い支えてくださいます。
悲しみは尽きないでしょうけれどもあなたのその思いをそのままお母様に手を合わせながらお伝えなさってくださいね。あなたの思いは必ずお母様がいつも受け止めてくださいます。
どうか安心なさってください。
そしてあなた自身の心を休めて頂き癒してくださいね。
いつもお母様はあなたを見守っていてくださり、これからも育んでくださいますからね。
私も今年母が亡くなりました。母は今もいつ如何なる時でも私達を見守っていてくださいます。いつも優しく支えてくれています。
私達はいつ如何なる時でも大切な家族や仲間とつながっているのですからね。
あなたがこれからもお母様に見守られながら豊かな心で皆さんと一緒にお健やかに生き抜いていかれますようにと心より仏様にお祈りさせて頂きます。
質問者からのお礼
同じように息子様を亡くされて、深い悲しみだとお察しします。日がたてば本当にこの悲しみが薄らぐのか。今はそう思えません。どこにいても何をしても母の面影を探し、泣くことしかできません。
しかし、お坊さまの 仏のそばに母はいるという
お言葉は、少し救われたきがします。
そして、私のそばにも来てくれていますよね…
中西智海さんの詠まれた言葉は
今の私の救いになった気がします。
同じように悲しんでいる妹にも教えたいとおもいます。
皮肉にも信仰が全くなかった私が、母の死で
母と同じく信心したいと思っています。
見ず知らずの私に心のこもった回答ありがとうございました。
これからも、迷ったり悩んだりありますが、よろしくお願いします。
今は悲しみ、深い喪失感だけですが。
それは私の思いであって、私が嘆き悲しむ姿を母は見たくないと思います。
とはいえ、未だに深い悲しみから抜け出す術も光も見えずつらい毎日ですが、
母は仏様の元で見守ってくれている
この意味が穏やかな心で受け止めることができる日を待ちたいと思います。
母の死をきっかけに仏様を信心していきたいと感じました。
見ず知らずの私に
気持ちが揺さぶられるような言葉、ありがとうございました。