自分は必要なのか
昨日、クビに追い込んでくる上司 のタイトルで投稿した者です。お礼のところでも投稿したのですが、すいません。
私はこの場を借りて、自分を肯定してくれる場所を探していたのかもしれません。会社についての批判だけでなく自分自身にも問題がある事に気づかされました。
仕事においても、家庭においてもあまり自分を肯定してくれたり、頼りにしてくれる場が少なく自分が必要なのか分からなくなってきました。
仕事で帰りが遅く、奥さんや子供が寝静まってる間に勉強をしようと試みるのですが、どうしても眠たくて途中で寝てしまいます。朝は子供と同じ時間に起きて、奥さんの家事がスムーズに出来るよう子供と遊んでいるのですが、どうしても勉強出来なかった事の後悔から、なんの罪もない子供に 怒ってしまって、また後悔。どうしても気持ちの余裕が持てず、へこむ毎日。
奥さんには頼りにならなくてごめんなさいという気持ち。子供には遊んであげれなくてごめんなさいという気持ち。会社には、結果が出せなくてごめんなさいという気持ち。
自分はどこにいても邪魔者何でしょうか。
また回答頂ければ幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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【内観】自己観察
”ごめんなさいという気持ち”
”ごめんなさいという気持ち”
”ごめんなさいという気持ち”
うんうん、痛いほどよくわかりますよ。たぶん、世の中の殿方の大半は、あなたと似たような思いでいるか、もしくはそんな経験のひとつやふたつあるものでしょう。
”自分はどこにいても邪魔者何でしょうか”
実際にそうなのかはさておき、そう思われるのが嫌ならやはりひたすら精進あるのみ。ただし、あなたの努力の方法や方向が本当に正しいのか、一度点検してみても良いのかもしれませんね。時間の使い方や自己評価など、どこかに見落としや無駄はないだろうか?これを【正精進】という。少なくともお釈迦さんは、単なるやみくもな努力は勧めていない。
とにかく、へこんでいる時間はない。まっすぐ前を向いて行こう。