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綺麗じゃないと意味がないという価値観に苦しんでいます。

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同性ながら、以前から綺麗な女性が好きでした。それが高じてしまったのか、最近は綺麗じゃないと意味がないような気がして、辛いです。男友達が◯◯さん(知り合い)綺麗だよな、と言うだけでも私は綺麗って言われない、価値がない、と思ってその日の夜は涙が出てきます。また、友達のことも綺麗かそうでないかばかり気にし、自分より綺麗でない人に彼氏がいると嫉妬したり落ち込んだりしてしまいます。
人の価値は外見ではなく内面だといいますが、外見に自信がないせいで卑屈になったり、男性とうまく話せなかったりして、性格が暗くなり、負の連鎖に陥っています。また、就職が決まり、来年から社会的に意義のある仕事をする予定です(他の仕事に意義がないと言いたいわけではありません。すみません)が、どんなに社会的意義が高く、充実した仕事をしても綺麗じゃないと意味がないような気がしてしまいます。
偏っている考え方だとわかっているのですが、自分では改めることができません。ですがもう限界なくらい辛いですし、いい歳してこんなことで悩む自分が情けないです。この幼稚な考え方のまま社会に出るのもよくないと思いますし、将来的に醜形恐怖症、パーソナリティ障害などの病気につながるのも怖いです。なので考え方、価値観の変え方をお聞きしたいです。お願いいたします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ご自分の眼に学ぶ

人の外見について綺麗かどうかという価値観は、人によって違うものです。
例えば風呂に入ってなくて、匂うというのであれば、風呂に入ればきれいになるわけです。清潔にしていたら、綺麗でないことはないです。皆きれいです。

例えば目の位置が一ミリ外側についていたらきれいではないのでしょうか。人間性が変わってしまいますか。その人の持つ優しさがなくなってしまうのでしょうか。好きな人の外見ですら、日々変化していきます。10年もたてば、年を取るわけです。太ったり痩せたりもします。
しかし、人の魅力は外見の好き嫌いとは関係なく内から出てきます。

人の好みにより変わるようなことは、真実ではなくただの幻です。食べ物のことで考えるとわかりやすいと思います。好きな食べ物嫌いな食べ物があったとしても、それは人によって異なります。その食べ物一つ一つの魅力があるのです。

病気になり、生命が助かるかどうかという時、外見どうこうをいう人はいないでしょう。とにかく生きられる道を探すのでしょう。
事実に学ぶのです。考え方捉え方でなく、あなたの眼に学ぶのです。眼は好き嫌いを言いません。ご自身の眼に学ぶべきです。眼は真実のみを映し出し、善悪好き嫌いを言いません。真理をついた働きをしています。人を正しく見る眼はすでに備わっているのです。頭の中で処理した後の価値判断には用がないことに気づきましょう。

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有り難し
おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す...
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