敗訴
自社の件、お客さん先の件を弁護士に相談しました。
損害賠償請求をしても良いほどだと、おっしゃいました。
でも、相当に信頼できる弁護士かつ法律に相当詳しくないと負ける、と。
ご自身も自信がないとか。
敗訴です。
結局、負けました。
白旗を振って明日、退職届を提出します。
アパートを借りて遠くの案件に行くのもありですが、自社が一応は6割は負担しますから。表向きは。気に入らなかったら自社は負担しません。
窓から見える風景は、塀です。そんなアパートばかりと自社が契約をしています。
たぶん息が詰まります。
1Rか1Kで目の前は塀。
受けても受けても人事は、何にも技術の事を知らないオネェちゃん。
通じない。日本語なのに通じない。
虚しい。
敗訴
ただただ敗訴
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
『修証一等(しゅしょういっとう)』。
ドキンちゃんさんにとっての敗訴は
あの日ですべてが終わってしまっていたかもしれないことでしょう。
そう私は思っていたのですが。。
しかしその後も、敗訴と言い続けてらっしゃる。
ただただ敗訴と。
受けても受けても通じない。
弁護士に相談しても負けました。
何度も心が折れて、折れながらも
166件のご投稿。
そのたびに立ち上がってきた堂々たる証ではありませんか。
『敗退を楽しむ生き方』と言ってみたり。
『死神』と一緒になってみたり。
私には分かりません。しかし。
はたして、
何度も何度も立ち上がるドキンちゃんさんに
私たちが敵うでしょうか。
はたして、
それは敗訴なのでしょうか。
私の宗派は、お釈迦さまからずっと続いている
「正伝の仏法」を引き継いできたという自負と参究の歴史です。
はたして、
私たちの苦しみはいったい何なのか。
それをとことん突き詰めた歴代の祖師は
「ただひたすら坐るのだ。」とだけ伝えてきました。
すなわち
『只管打坐(しかんたざ)』と。
坐ることのどこに、苦しみからの解放とやらがあるのか。
坐っていても「これがいったい何になるのか」。
坐って、その境涯ばかりを謳うのは、おかしいとも思います。
しかし私たちは
本当に坐れたなら安心しかないんです。
なぜなら「ただひたすら坐った」ならば
「ただひたすら立ち上がれる」からです。
これは私の独断で、教義ではありませんし
仏教かどうかさえもあやしい。
ですが、
本当に坐れる人は
何度でも立ち上がれる人です。
どのように坐ったかではない。
どのように立ち上がったかでもない。
どのような投稿内容かでもない。
内容ではないはずです。
ただただ立ち上がり
ただただ投稿し
ただただ私たちを励まし続けてきた。
それがドキンちゃんさんではありませんか。
私は世間知らずですし、アプローチに関してはドベです。
しかしドキンちゃんさんのこれまでの修してきたことは、私など到底敵わない『一等』のものであると
証明することはできます。
そして今の私にとっての参禅は、これしかない。まして坐禅で勝訴できるなどと。
しかし坐禅に限らず、100年後も1000年後も、これしかない、とも思います。
【追記】
ズバッと真をついているのではなく、私自身に言い聞かせてるだけなんです。
不快でしたら、すみません。
質問者からのお礼
吉井浩文さん
ズバッと真をついていてイタイです。
頭では分かっていますが心が分からない、分かってくれない。
いつもお坊さんや質問者さんに励まされる事に有り難く、でも立ってもしんどさがあって、ずっと立つ事ができず不甲斐なさに苦しい。
杖をついてでも立てたら。その杖を探すのもしんどい。
頑張らなきゃいけないのに。
吉井浩文さん、何度も何度もご回答を書き直してくださって有難うございます。
吉井浩文さん追記、読みました。
不快だなんて、とんでもありません。
正式に派遣会社に退職する旨を伝えました。
伝える事ができました。
また立ち上がりたいです。