この寂しさって…どっから来るんでしょうね?
いつもお世話になっております。
なんだか最近、変に寂しいです。
手足付きの抱き枕に服着せてその胸ポケットに、
祈願寺で受けたミニ護摩札入れて寝てます。
そう。お父さんの大きな体に抱っこされてるイメージ。
よく眠れるんですよ…
なのに何故でしょうね?いきなり寂しくなるんですよ。
親的な人に甘えて、ふざけたいな〜。とか、
あ〜…「恩師」(プロフィールに詳細)先生が親父だったら、
今頃私どうしてるかな〜。甘えてみてえな〜。とか考えたり。
実際、面倒見てもらってる期間中、本人にそれ言いました。
「小隊長は、親がいてもいないようなもんだからな〜」
って笑ってました。
お寺に行ったら、比較的忙しくなさそうな職員さんに
話しかけてみたり。
あ、ちなみにどう見分けてるかって言うと、
受付カウンターとかお札場にいても、作業とかしてないで
境内を見渡してたり、ぼーっと座ってる職員さんに絞ってます。
たまに、「あ、小隊長だ〜」とか言ってくれるお坊さんも
いらっしゃるので、それも指針です。
でももう12月になので、それもしばらく叶わなくなりますね。
なんか一人で泣くことも増えた気がする。
極め付けの対処法は最初に書いたやつです。ここまで
してるのに何でなんですかね。ご意見頂けたら幸いです。
発達障害があるが、他の患者が苦手、健常者さんに負担を強いる障害者が許せない、 医師の悪口を言う僧侶が許せない、選挙で体調崩す、医師を顎で使ったり「薬減らせ」とごねる患者に辟易 #薬は悪くない
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
【本願力にあいぬればむなしくすぐるひとぞなき】
”ここまで してるのに何でなんですかね”
対処療法ばかりだからなのでは?
<追記>
”ご回答を元に、医師にも相談しました”
”食生活の乱れと偏りが原因だと”
そうですね。たしかに、近頃はどの宗派も門戸を広げて、座禅をはじめ各種瞑想、お寺でヨガ等々いろいろ出てきましたが、やはり大抵どれも体調をしっかり整えておかねば正しく実践する事ができず、下手をすればかえって心身を痛めることにもなりかねません。
それから、あなたの過去の質問も時々見ていましたが、仏教そのものさえも対処療法的な”使い方”をしているように思っていました。様々な人間関係、トラブルへの対処、誠にご苦労さまでございますが、そろそろ吉凶禍福、あなたの都合に合う合わないという尺度をちょっと外して横に置いておき、あなたの人生、あなたの存在そのものを問う仏教の学びをしてみてはいかがでしょうか。あなたという存在の尊さ、偉大さにぜひ気がついてほしい。この気づきに辿り着いていないから、何をどれだけやってもどこか寂しい、悲しい、虚しい感じがついて回るのではないでしょうか。
質問者からのお礼
【転落院 先生】
ご回答ありがとうこざいます。
対症療法ですか…。
ご回答を元に、医師にも相談しました。
細かく問診を受け、食生活の乱れと
偏りが原因だという結論が出ました。
特に野菜や果物に含まれるビタミンなどが
不足する事により、苛立ちや落ち込み
と言った感情が出ることもあるそうです。
言われてみれば、自覚はあります。
根本的な部分がダメだったみたいです。
【転落院 先生へご追伸】
ありがとうございます。
仏教を対症療法的に使っているという
自覚はなかったですね…
私という人間の尊さ、と言われても
なんだかピンと来ません…
誇大的なプライドに繋がったり
暴力的なカルト思想に膨らんだり
しないか不安です…。