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中絶した子

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私が31才の時に当時の旦那の子供を中絶しました。理由は旦那に借金があり、子供より金の方が大事だと言われました。今考えれば、そんな事を言う男とはさっさと別れてしまえば良かったんでしょうが、そのまま結婚生活を続けたのです。結果 流産を繰り返し、数える事5回。中絶した子が怒っているんだと思いました。もう性別も分かる程大きくなってからの中絶でした(女の子)。そして2008年妊娠した事が分かったのですが、さすがに6回目ともなると、またダメになるかもしれないと思うと怖くて病院には行けませんでした。ところがお腹の中で動いていて、慌てて病院に行きました。(産婦人科の先生にすごく怒られました)ですが、高齢出産に入ってしまったせいなのか、妊娠中毒症になってしまい 予定より1ヶ月早く帝王切開で産むことになりました。無事産まれたと思っていたのですが、なかなかミルクを飲めず、何度も病院に行きましたが、9ヶ月放置され、病名が分かった頃には、1歳目前でした。言い方は悪いですが それも中絶した子のせいだと思ってしまいました。無事 手術は成功し、何事もなく、7年が過ぎ 更なる試練が…。またも同じ病院で放置され、1ヶ月後 意識を失い、検査の結果 絨毛癌という脳腫瘍でした。どうしてうちの娘ばっかりこんな辛い思いしなくちゃいけないの。なんかこの子悪い事しましたか?って言う気持ちで…それから亡くなるまでの1年8ヶ月、何度も死にかけ、助かりを繰り返してきました。麻痺もあり、目も見えなくなり、何もかも奪っていったのに、命まで奪われた、神も仏もいないんだって思いました。これも中絶した子の怒りなのかもしれないと、お金なんかの為に命を粗末に扱った私への罰なのかなと思い、もしそうなら、何の罪もなく 先月亡くなった娘に申し訳ない気持ちでいっぱいなんです。私が変わりに死ねば良かった。そう思う私の考え方が間違っている事は分かっています。でも子供を育ててくれる人はいます。子供の代わりは誰にも出来ないんです。時間が経てば徐々に薄れて行くといいますが、私は日に日に娘ロスになって行きます。中絶した子の怒りとかってあるのですか?連れて行ったりしちゃうのですか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたと、あの子たちを繋ぐ、大事な生き方を。

そんなことはないよ。
皆、違う命。
娘さんは、精一杯に生きたじゃない。
しっかり、生き抜いたじゃない。

先祖が、命を奪っていく なんてことは無いのですよ。

中絶や流産。母体に受ける影響は、大きいです。それだけに、あなたからしたら、そのために、娘が亡くなったと、考えてしまうのも、理解してあげたい。

生きていてほしかったのよね。
どの子も。縁がありさえすれば、どの子も、産んであげたかったよね。この手で、抱きしめてあげたかったよね。

こちらの事情とはいえ、この世には誕生出来なかったけれど、ちゃんと お浄土の 仏様の世界には生まれていったと思いますよ。

どの子も、あなたに繋がる大事な命。
亡くなっても、ずっと親子ですよ。
これからも、あなたの心の中で、一緒に生きています。

あなたも、私も、いつか この世の縁が尽きるときが来るでしょう。
それは、あの子たちに会えるときでもあります。
だから、手を合わせて生きましょう。
どうぞ、仏縁を大切に。
あなたと、あの子たちを繋ぐ、大事な生き方を。手を合わせて生きましょうね。

その側に、仏さまがいてくださいますよ。
私も、手を合わせますね。

追記。。。
そうですか、、、あなたも、よく支えてあげたわね。娘さん、どんなに心強かっただろうと思います。本当に、よく頑張った子ね。最期まで闘い抜いた 強い子だわ。
だからこそ、これからも、子ども達と一緒に。
合掌

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おきもち

はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として...
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質問者からのお礼

心が軽くなるお言葉頂きありがとうございます。娘は一生懸命病気と闘いました。それが分かっているから、死にたくないって言って、頑張ってた子が死ななきゃいけないの?って思っていたし、仏様になんかならなくていいから生きててよって思いました。でもきっと痛みから解放されて楽しく暮らせるのであれば、私は 第2の道を歩んでいく娘を祝福してあげるべきなのですね。本当にありがとうございました。

合掌ありがとうございます。救急車を待ってる間 娘がママ、ごめんねって言った。これが最後の声かもしれないって思ってた。だから処置中も頑張れって思う気持ちともう頑張らなくていいよ、充分頑張ったよね。と思う気持ちの間で揺れていました。私より強く、優しい娘が今は私の誇りです。私が娘を忘れなければ 生き続けると信じ、天寿をまっとうした時に1番に会いに行きます…。ありがとうございました。

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