判断するのが怖い
何度も関連質問ばかりで申し訳ありません。自分が冷静にならなければ、と思うのですが、迷いの中に飲み込まれています。
夫がまた出て行きました。今度は死ぬ
と言って。命を一番に考えて、捜索願を出しました。
今日になり、とある場所で職質を受け拘束?されていると連絡が来て
夫は、拘束されたことに怒りしか覚えなかったようで、キレ気味でした。
心配だからこうした、とかまったく聞いてくれずでした。そしてまたその場を離れ遠くへ行ってしまいました。
夫の両親は心配してくれていましたが、捜索願のことに関しては、大げさなことをしてくれた、相談して欲しかった、刺激するべきでなかった、と言ってきます。
それでも命の心配があった、とその時の私は、ここで躊躇して後悔したく無い、と思ったのですが。
発見後、手配を解除するかどうか、悩んで相談をしたら、今度は
勝手に出したんなら勝手に取り下げろ、と。相談しなくても相談しても、非難されてしまいます。
これまでのことも、相談してきたところ、自分で考えろ、とのことだったので
捜索願のときも自分の判断でこうしたつもりでした。
どちらをしても、非難されてしまう。
自分の判断で、よくないことが起こったら、と思うと、判断するのが怖くなってきました。何に従って行動したらよいのか教えてください。
そして、職質を受けたことで私への恨みを募らせ、より意固地になってもう二度と帰らないという夫を、どうしたらよいのかお知恵をください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
邪見を発起するべからず
お釈迦様は
多く語る者は避難され
沈黙する者も避難され
少し語る者も避難される
と経典に記しています。
また、今回の一件に関しましては、一番近くにいる わなの さんが一番よく言動を観察していることから、適切な判断であったと思います。いいんです。この判断で。命を失っていたらと考えれば、身内からも罵声の連続のことでしょう。
これからは対策をしっかり2点3点と立てて、次のアクションに対応してください。善は急げとは仏教の言葉です。そのときに咄嗟に感じたことを行動に移され、命を救えたのです。
どの判断にも迷い躊躇いというものは少なからずあります。そのときは最初に思った判断力を信じてみてください。
一日もはやく平穏な日々到来を心よりお祈り致します。
合掌
どうしようもない(思いどおりにいかない)
どうしようもない、思いどおりにいかないことが、世の中にはあります。
あなたのコントロールできる範囲を超えていると思いましょう。
コントロールできなくて当たり前のものを、コントロールすべきだと考えると辛くなります。
旦那さんがどうなっても良いという覚悟と対策が必要です。
「対策」とは、たとえば、旦那さんがどこかで勝手に借金したり、賠償責任を負った(ビルから飛び下りて通行人を巻き込む等)場合に、あなたやご家族が旦那さんのとばっちりで借金を抱えるようなことにならないようにするなどの対策です。
冷たいようですが、旦那さんを思いどおりにすることはあきらめて、その先の人生を具体的に考えていく時期に入っているのかもしれません。
嘆いている場合ではありません。
あなた自身とご家族の身を守ることをちゃんと考え、判断していく必要があります。
旦那さんと連絡がつくうちに、離婚も考えた方が良いでしょう。
仏教は、諸行無常(すべては変化していく)を説きます。
現実はどんどん変化していき、私達の思いどおりの姿のままではいてくれません。
(私の個人的な意見であり、違う考えのお坊さんもいらっしゃると思いますが。)
質問者からのお礼
法源様
いいんです。この判断で。命を失っていたらと考えれば、、、と初めて言ってもらえて救われました。どんな判断でも迷いや躊躇はある、最初の判断を信じて動こうと思います。この切羽詰まった状況下で、いろいろ周りにアドバイスされ過ぎて、訳が分からなくなっていました。ありがとうございます。自分を信じてみます。
願誉浄史様
旦那さんを思いどおりにすることはあきらめて、その先の人生を具体的に考えていく時期に入っているのかもしれません。たしかに。冷静にそれも考えていかねばならないところへ来ているかもしれませんね。ハッとしました。夫がどうなっても良い、くらいに腹をくくる必要がありそうです。ありがとうございます。