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どうして苦しい思いばかりしないといけないのでしょう

回答数回答 1
有り難し有り難し 25

お忙しい時期にすみません。
はじめまして。32歳独身女のゆうと申します。
普段は努めて明るく振る舞っており、悲観的な性格でもないのですが、どうしてか心の奥底にある
「なんで私はこんなに苦労しなくてはいけないのだろう」
という思いが払拭できません。
どうしたらよいでしょうか。どうかお力をお貸しください。

大したことのない人生ではありますが、これまで
保育士に虐待され
同級生にいじめられ
年上のよく知らない男性に無理やり性行為をされ
専門学校ではパワハラを受け心がボロボロになり
社会人になってからは薄給激務で疲労困憊。
幼少期からの夢も叶いませんでした。
転職してからも犯罪に巻き込まれそうになり
これではいけない、自分がレベルアップしなくては
こんなに苦難が多いのは自分のレベルが低いのだ
と看護師になったのですが
仕事はまたもパワハラの嵐。
その間に婚活もし、結婚相談所にまで登録したのですがお金がかかるばかりで惨敗。
挙句の果てに、今年癌に罹患していることがわかりました。

悲劇のヒロインのようになりたくないので、普段はこのような過去をひた隠しにしています。
しかし、全てにおいてこんな風な私が未だにのうのうと生きているなんて、とすらも思います。
こんな私のそばで、妹はとんとん拍子に幸せを実感し、お金にも、結婚相手にも、子どもにも恵まれました。

人生や幸せは他人と比べるものじゃない

わかっています。そんなことは。
でも、私が思い描いた幸せは手に入りません。
愛する人が傍にあり、共に泣き、共に笑う幸せも
豊かな富も、健康な身体もありません。
もちろん、ささやかな幸せはありました。楽しいことも。今では友人もおり、私以外の家族はほぼ健康です。

でも、どうして、どうして、と時々1人悔いて、涙を流したくなります。

私は前世で何かひどい罪を犯して、そして罰されているのでしょうか?
あと何年生きられるかもわからない身でこんなことを言ったって、仕方ない、人生そのものを受け入れるしかないともわかっています。
(もちろん、80歳まで生きられることもあるでしょうが)

それでも、せめて、一度でもいいから人を愛したかった。
愛する人と共にありたかったです。

グズグズとどうしようもない話を長々とすみません。
どうしたらこの思いから抜け出せるでしょうか。
お力をお貸しください。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

本当に救われる教えを求め、自己を明らかにしましょう

ご相談拝読しました。

これまでの人生において本当に多数のご苦労をなさってきたのですね。よく耐えて頑張って来られましたね。
私ならば腐って投げやりになってしまっていたかもしれません。ゆうさまの姿勢に頭が下がる思いが致します。

さて、

>「なんで私はこんなに苦労しなくてはいけないのだろう」

という思いが生じてきてしまうのは致し方ない事ではないでしょうか。そのような思いが生じるべき体験をなさっているのですから。
しかしそのままではどうしても救われない、納得出来ない、これが私の人生だと引き受けられないという様な思いもお抱えの事と思います。

その「なんで」に答えてくれるものが

神に与えられた試練、前世の報い、自分が作った業の報いとしてもたらされた運命

というような教えだったとしたら、ゆう様は納得できるでしょうか?救われるでしょうか?

私はそうではありませんでした。そんなものでは救われませんでした。
(後者の二つは一見仏教の思想の様に見えるかもしれませんが仏教思想の誤解だと私は解釈します)

私が救われ続ける仏教の教えにもらったその「なんで」という問いへの答え(応え)は「たまたま」とか「わからない」というものでした。

これはちょっと聞いただけでは「は?」となってしまうものだと思います。しかしずっとこのことを聞き続けていくと本当にそう頷かされるものがあるのです。

様々な出来事を短期的に取り出して分析すると「AだからBになった」というように原因が特定できるものもあります。仏教は因果の道理を説きますからあらゆる物事には原因があると説きますから当然です。
しかし最終的に辿りつく「AがなぜAなのか?」には「わからない」となるしかないのです。人知では及ばない不可思議(思い計ることができない)の領域です。
そして、そのAがどんな理由・原因であろうとAがAとして生じた事実から現在のBに至った事実は変わることがなく、私に与えられた自由はBに「いかに対処するか」なのです。
そしてなぜか「わからない」はずのAに「こうなのでは?」と勝手に理由付けしたり、AやBにその時の都合による「良い・悪い」の評価をくだして自ら苦しんでいる自分の姿が明らかにされるのです。

私が私の都合を満たす救いではなく、私の姿が明らかになる救い。私の都合ではなく、私自身が満足する救い、それが仏教です。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

質問者からのお礼

大変遅くなってしまってもうしわけございません!
とてもこころに染みるお答え、ありがとうございました。
あれから数年が経ちましたが、体のほうは安定しており
今は問題なく生活できております。
あれ以来、様々な問題が起こり、今も先日流産を経験するということになってしまいましたが
吉武文法様のおっしゃるとおり、「いかに対処するか」という自由のみがあると思い、前向きに対処できそうです。
本当に。お返事が遅くなってしまい申し訳ありません。
救われました…ありがとうございました

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