マナー違反が許せない
もの凄くいろいろな事が許せない訳ではないのですが。
最近では、私はホットヨガに通っています。そのスタジオの半分はマットが敷いており、そのマットは動かしてはいけないことになっています。
半分はマットを敷いていないスペースがあります。そこには、自分のバスタオルを敷いて使用します。
その理由は理解しておりますが、長くなるのでここでは避けます。
マットが敷いてある場所を使用するマイナス点は間隔が狭く、隣に人が来た場合、確実にぶつかるので、手を広げる動きはやりにくいのですが、マットの上で滑りにくいし、膝をついた時に痛くない。
直接の場合は、滑りやすいし、膝が痛くなる。ただ溶岩石に直で、その効果は感じやすく、また、その周辺は混みあわないので、気にせず手足を広げられる。
長くなりましたが、マットの移動は禁止されている事は、スタジオに入るドアに大きく書かれているのに、必ず数人は移動する人がいます。
それに対し、不快に思う人は多く、毎回そんな話になり、私は都度、スタッフに注意して貰うようにお願いするのですが、言えばスタッフは注意はしますが、今回はこのままで良いので、次回からはという緩い注意です。
私が直接、移動禁止の話をしたこともありますが、もの凄く嫌な顔をされ、レッスン中、睨まれました。
今日はスタッフにお願いしたら、その人は「はい、移動はだめです」で、話が止まり、注意して貰えませんかと話したら、なんでそんなことしなきゃいけないの的な顔をされました。
またも長くなりましたが、他のお客さんは、マット移動する人をみて、不快だ、ストレスだと言いながら、行動には移さず、なんだか私ばかり、それでもいいのですが
いくたびに注意して貰うように話すのも、かといって放置しているのもストレスです。
数年前、息子のクラスで、ちょっと問題があり、私が意見したようですが、未だに○○君のお母さん、かっこいいね、みんなが言いたくて言えないことを代弁してくれたと言われて、息子も、自分も親になったら、子供の為にそんな親になると、それはいいのですが。
私は、この言わなきゃ気がすまない、回りのマナーが気になるのは、疲れてきて。
どうしたら、気にせず、過ごせるのでしょうか。
ある意味、無関心に生きたくなりました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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こだわり(執着)
こだわり(執着)は怒りにつながります。
怒りはストレスにつながります。
こだわらない方があなたの健康のために良いと思います。
今回の件は、車のスピード違反みたいなものです。
高速道路で、法定速度の10キロオーバーくらいまでは普通に許されますし、法定速度ぴったりで走っていると、かえって他の車の邪魔になります。
法定速度は表示されていますが、速度超過が許容される範囲というのがあります。
また、そもそもスピード違反を取り締まるのは警察の管轄であり、一般のドライバーが、他人の車のスピード違反に細かく口出しする必要はありません。
今回のマットの移動も、「許容範囲」かどうかを判断するのは主催者のスタッフの管轄であり、あなたが決めることではありません。
スタッフの中で、「これくらいの違反は許容範囲」という判断があるはずです。
その許容範囲は、その日の混み具合によっても違うでしょう。
「私は違反を許さないキャラである」というプライド・誇りも、執着の一種です。
あなたが「警察」である必要はない場所があるのです。
あなた自身の怒りストレス軽減のために、こだわらない、執着しない、手放す身軽さをお勧めします。
心の中で、「こだわり・執着は煩悩だ。煩悩はストレスの原因だ。」と念じる(客観視する)ようにしましょう。
質問者からのお礼
願誉さま
長くなってしまった内容に対しての丁寧な回答ありがとうございました。
高速道路の法定速度、そして取締警察に私がなる必要がない。
私も運転しますし、それは理解できるのものの、逆に高速道路のように、法定速度で走行する人は一部で、10キロオーバーが大多数という現状なので、それは成り立っているんですよね。
覆面パトカーも、20キロオーバーを見ているし、オービスは、更に早い速度の取締。
聖書で、自分の目に丸太が刺さっているのに、相手の目のおが屑は取れない(取らせてくださいとは言えない)と言うのも頭では理解していて、私も人に不快な思いをさせているはずだとも思いますし。
夫にはいくら正当な事でも、ルールを守らないやつは、どこかおかしいんだから、指摘しても無駄、逆に刺されでもしたら損だから、放置がいい…も頭では理解できます。
刺されないまでも、今回は睨まれ続けられましたし、執着を棄てるが、穏やかに過ごせることとなりますよね。
なんとかがんばります。