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暴言の範囲について

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有り難し有り難し 35

私の知り合いにいつも暴言を吐く人が居ます。
その人は自身の母親を呼び捨てにするのは当たり前で、
母親を罵る事もあれば、ネット上の相手に罵倒している事もありましたし、私に対して何回も暴言を吐く事もありました。

思い切って「暴言をやめた方がいい」と意思表示をしましたが、
本人曰く、親への暴言は遊びや軽口で言ってるだけ。
私に対しても、一度も傷つけるような暴言を吐いた事はないと言っていました。

恐らく本人は、本当に遊びや軽口のつもりで言ってるんだと
思います。暴言に対する認識が私とズレているのかもしれません。
しかし、私はどうしても納得がいきません。
誰が言われても傷つくような事も言われましたし、
何より他人が暴言を吐かれていれば嫌になります。

私はどうすればいいのでしょうか?
暴言の範囲は一体何なのでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

本人が暴言で失敗するしかない あなたは自分の心に向き合う

口は禍の元。
悪口や人が嫌がる言葉を言っていると、それってホントに本人にかえるんです。
人間の言葉は品位や品性に影響があります。
日頃そういう言葉を使っている人はそういう人間性・キャラになってしまうのです。
それをやればそのようになる。
その結果、あなたにも不快な思いをさせている。
他の人にも悪い影響を与えているでしょう。
そこに本院が気づかないことが問題なのでしょう。
若い頃は突っ張って乱暴な言葉を使いたがるものです。
なので、その彼のことを本当に思うのであれば、一、二回「彼の為に」「親友として」上手に忠告をすることです。
男同士ですからプライドのぶつかり合いもあるでしょうから、上手に伝えることです。
それでわからない場合は本人が痛い目を見ないと変わらないと思います。
口の悪さは彼の問題。
そこに怒りや不快感を覚えるのはあなたの問題でもあります。
あなたはあなたでそこを見つめる。
人の言葉で心が振り回されやすいという事は、人生で生きていく上でも乗り越えるべき課題です。
ちょっと深いことを言っておきますと、コトバというものはその言葉自体に悪い意味や負の意味があるのではなく、そこにさらに悪い意味を添えてしまう自分の心の作用こそが一番の問題でもあるのです。
問題は相手の言葉を問題にする自分にもある。
また、相手に問題を起こさせる自分の人間性にも問題があるのです。
みんな自分のことしかできませんからこそ、あなたはあなたのやるべきことをやりましょう。
①彼を親友として大事に思うのであれば、上手に伝えてあげる。
②彼の言葉や人の暴言に過剰に反応してしまう自身の心も問題にする。
③言葉そのものにポジティブネガティブが無い事を明らめる。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

自業自得

拝読させて頂きました。
人を傷つける様な暴言や暴力行為をするものは罪を犯しています。
本人にとっては軽い気持ちかもしれませんがやられた方は心から傷つきます。
ですから自ずと人は離れていきます。
そして誰も相手にしなくなります。
その罪の報いを受けるのです。
因果応報・自業自得です。

その方があなたの思いや言葉を素直に受け止めて反省し謝罪して改善するならばご縁はつづくと思います。そうでなければご縁は続きません。
聞く耳を持たなければどんなにありがたい言葉も無意味ですし無力です。
「馬の耳に念仏、猫に小判」
です。

その方の言動や行いを冷静にみて「人の振り見て我が振り直せ」ですね。
自分はそのような悪業を為さぬようにと心掛けましょう。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

質問者からのお礼

回答をくださりました御二人に御礼を申し上げます。
本当にありがとうございました!

丹下覚元様へ
生きていく上で為になる回答だと思いました。
回答にある通り自分は自分を見つめて、
そして、人を幸せにするような言葉を大事にしていこうと思います。
今はまだ無理かもしれませんが、頂いた回答を基に、
精進して、言葉を大事に出来る人間になりたいと思いました。
自分の心もちゃんと見つめます。

Kousyo Kuuyo Azuma様へ
心にある悪い物が洗われるような回答だと思いました。
仰る通り
軽い気持でもたった一言で相手を傷つける事が可能なのが「言葉」だと思います。
だからこそ、自分は良い「言葉」を大事にしていこうと思いました!

御二人の「言葉」で自分の心は救われました。
ありがとうございます!

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