hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
2019年のあなたを表す漢字 募集中

お坊さまって大変ですね…南無阿弥陀仏…

回答数回答 1
有り難し有り難し 2

軟禁状態の私が言うのも何ですが…

私も微力ながら南無阿弥陀仏…

質問に戻ります

私の人生の中で

一番多いのが笑顔の時間

全部が笑顔らしい笑顔ではないけど

不思議と笑顔でいられるから不思議

偽りの笑顔の割合は意外と多い

それでも私は笑顔でいる

心が泣いていても笑顔

イジメられていても笑顔

そんなんだから病気にもなる

でも何故だか私は笑顔でいる

泣きたい時は泣いていいし

怒りたい時は怒ってもいい

だって人間だもんね

私も人間らしさや人間臭さも嫌いじゃない

だけどね

それが出来ない人もいる

笑顔でいるしかない人もいる

そういう自分がイヤになることだってある

でもやっぱり笑顔になるんだなぁ

それが良いとか悪いとかは

誰にも決められないこと

自分に正直でいたいと思う

もっと素直にもっと感情豊かに

思いを表に出せる人を羨んだこともある

それでも私は笑顔でいるのだから

私の笑顔のは単なる偽りの笑顔でなく

それなりに笑顔らしい笑顔なのかなぁ

それが今の私なのだから

そういう自分を受け入れていたい

拒否したらおしまいになりそうだから

そういう自分を受け入れていたい

涙を流しながらも笑顔でいたりもするけど

多分

それでも

それなりに

まだ頑張る余力が残っているのだと思う

だからここhasunohaを頼ったりしながら

頑張って生きていこうと思う

どう頼るとかは

ちょっと意味とかもよく分からないけど

何とも言い様がないけど

何かこうして言葉にしているのだから

何か頑張れそうな気がする

決して1人じゃないと思えたから

そんな私は今も笑顔

鏡の中の私が笑顔になっている

お坊さまたちはどうなのかなぁ…

笑顔で過ごしているのかなぁ…

そんなささやかな質問ですが

お坊さまたちは今笑顔でいますか?

2019年2月7日 11:00

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ありがとうございます(^ ^)

拝読させて頂きました。
あなたのそのようなお気持ちを読ませて頂いて笑顔になった自分がいます。
ありがとうございます。

無理に笑顔でいなきゃいけないこともありますけれども、それでも人にも自分にも仏様にも神様にも笑顔でお向き合いしていきたいですね。

とはいえ泣きたい時にはやっぱり泣いて仏様や神様やご先祖様にお向き合いなさってみて下さいね。

仏様も神様もご先祖様も多くの方々がいつでもあなたをありのままに受け入れて下さいますからね。

ありがとうございます。仏様を信じて笑顔でお念仏おとなえさせて頂きます。
南無阿弥陀仏なむあみだぶつ
ありがとうございます。

2019年2月7日 19:21
{{count}}
有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして8年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラー...

質問者からのお礼

Kousyo Kuuyo Azuma様、お返事ありがとうございます。

お坊さま方のお言葉を読んでいると、クヨクヨ自分がアホらしく思えてきて…あ~お坊さまって大変だなぁ…と。

代わりに…とは言えませんし言いませんが…

私も南無阿弥陀仏と心の中で唱えています。

窮屈な生活の中にも、笑顔はあります。

お坊さま方、皆様、頑張り過ぎないで下さいね。

私は何もしてさしあげられないので…

笑顔で南無阿弥陀仏です。

「お坊さん・僧侶全般」問答一覧

病んでしまった人が住職になれるだろうか?

私は寺の長男に生まれました。が保育園のころから電気が好きで、小学校1年の時の将来の夢が最初は電気屋さんになりたい。でした。ですが、住職である父に「電気屋さんがお坊さんはできないけど、お坊さんが電気屋さんはできるんだよ。」という今考えるとわけのわからない理屈で言いくるめられ、将来はお坊さんになりたい。と書き換えさせられました。かといって仏教が嫌いだったわけではなく、児童向けのおしゃかさまのでんきを友達からもらって読んだり、生まれて初めて映画を見たのが井上靖の天平の甍(鑑真さんの話)だったりしたのもそのころでした。小学5年生の時に東京の増上寺で得度しました。秋葉原に行けるからでした。生まれて初めて飛行機に乗りました。その後中学1年の時に初めてパソコンを買ってもらい、ゲームやプログラミングに夢中になりました。MSXでしたが、パソコン・モニター・データレコーダ・漢字ROM・プリンタと買いそろえてもらいました。中学2年の時に独学で国家試験を受けて、電話級アマチュア無線の免許を取りました。開局したのは高校になってからでしたが、無線も好きでした。高校では科学部物理班でアマチュア無線とパソコンに夢中でした。将来は工学部に進んで風力発電の研究をしてエンジニアになるのが夢でした。しかし文理選択で寺の後を継がなくてはなというプレッシャーに負けてしまい、文系を選択したのでその道は絶たれました。そのころひろさちやの仏教大百科を読んで、浄土宗は大正大学か佛教大学に行くことを知りました。親は大正大学に行けとは一言も言いませんでした。そして大正大学には入ったものの授業に出たことはないです。サークルにばかり逃げていました。サークルがなかったら、大学を中退していたかもしれません。テストだけは受けていたので単位は取れました。(何個か落とした単位もあるが再取得。)大学在学中に加行をなんとか御え住職資格を取り(風邪で3日休んで下山寸前だった。)そのあと大本山にある修行道場で1年間更に修行しました。大学在学中から心が病んでいて医者にかかっていたので、修行道場も医者に通いながら勤めました。修行のほうが寺にいるより楽しかったからです。町寺の法事葬式で回っている感じが嫌いでした。でも仏教は好きという矛盾を抱えていました。心の病気が酷くなって私は今は寺を離れていますが、私にはもう住職は無理なのでしょうか?

有り難し有り難し 8
回答数回答 1

納得のいかない法話

質問させていただきます。 回答しづらければ、スルーでお願いします。 母の四十九日法要の和尚さんの法話でのことです。 「亡くなった人はどこへ行くか?」と和尚さんは私の甥に尋ねました。 小学生の甥は、「心の中」と答えました。 それは、亡くなった母が教えたことです。 母は「自分が死んでも、いつも見守ってるから」という意味で、生前、そのように話したのだと思います。 が、その和尚さんは、それを完全否定しました。 人は死んだら「無」になる、と。 何もなくなる、心の中ということはない、と。 実際に仏教でどのように考えられているかは知りません。 和尚さんが仰ることが正しいのかもしれません。 ですが、そこはあえて否定する必要があるのでしょうか? マチガイハ タダスベキということですか? 甥だって大人になるにつれ、母の言葉の意味は理解するだろうし、何より母の法要で母を否定されたような気がして、何とも言えない気持ちになりました。(「黙れクソ坊主がっ!」と思ったことは内緒です) また、その話の流れで、ホームレスは人間のクズだから地獄に堕ちるという話をされました。 いや、ちょっと待て! 人は死んだら無になるんじゃなかったのか? 無になったら、地獄も何もないのではないか? それとも、ソレとコレとは違うとでも言うのだろうか? それより、ホームレスが人間のクズとはどういうことなのか!? それが仏教なのか? 和尚さんの偏見ではないのか? 和尚さんに対しての怒りの感情と、母に対して申し訳ない思いと… お前が地獄に堕ちろ!とマジ思いました… ホームレスの方達に炊き出しをするボランティアをしていたので、色々と思うところがありました。 もう数年前のことですし、そのことを引きずって悩んでいる訳ではありません。 過去のことに上書きすることはできませんし、それはソレで、そういう事実があった、でよいです。 ただ、その本当のところが知りたいです。 数年前のことを、なぜ今、このタイミングで?と思われるかもしれませんが、今まで聞く人がいなかったからです。 hasunohaのサイトを最近知りました。(遅っ!) よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 143
回答数回答 6

住職と檀家

はじめまして、翔太郎と申します。お恥ずかしながら、48歳のここに至るまで、菩提寺が真言宗豊山派だということを深く考えずに生きてきました。 しかし、父親が亡くなったら寿命が尽きるまで、わたしが菩提を弔わなければなりません。 となれば、わたしは豊山派の檀家として、それ相応の作法を身に付けたいと思いました。 残念ながら、13年前に亡くなった母親は、ひどい精神疾患でした。兄にもわたしにも、その血は流れているようで、わたし自身、精神障害者手帳3級です。父親は精神疾患というものを本当には理解できないようで、今の状態のわたしにひどい言葉を言うこともあります。それでも晩年の母親に随分と暴言を吐かれながらも看病し、時に惨めな思いをしたこともある姿を近くで見ていた実の息子としては、亡くなった時、菩提寺で手厚く葬ってやりたいと思い。きちんとした檀家の作法を身に付けたいと思いました。 まずは、真言宗の開祖であるお大師様の時代からの仏教の歴史を調べ、なぜ、高野山から別れる形で豊山派ができたのか調べ、母親の戒名が飾られてから、線香をあげなくなった仏壇に線香をあげるようにしました。 次に檀家は正式には、毎日、仏壇の前でどのようなお経を唱えるべきか、菩提寺のご住職に電話で尋ねようとしたのですが、ここから流れが少しずつおかしくなって行きます。 たまにご住職が電話に出ても、これから外出するところで、話をしている余裕がない。キャッチホンが鳴ったので、またかけてもらえますかの繰り返しです。忙しいのは事実のようで、息も荒く疲れ切ってるのが伝わってきます。後日、父親から茨城県で三人しか選ばれない議員に選ばれたと伝聞で聞き、どういう事情でそこまで忙しいのか、今度こそ聞こうと思い、電話をかけたところ、今度は息子さんが出ました。副住職をされているそうです。初耳でした。ご住職が忙しいなら、電話を取った時、息子が副住職をしているので、そちらに聞いてもらえないかと言って欲しかったのですが、それは言ってもらえず、息子さんに檀家の作法をお聞きしました。ちなみに宗会議員になると、檀家の相手をする必要がないくらい忙しいものですか?僧階は2級の権野大僧正だそうですが、それくらい偉くなると、檀家の話などまともに聞く必要もなくなるものですか。わたしが傲慢な考えを持っているようでしたら、分かりやすく注意していただけると助かります。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

関連する問答

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る