あしたの感話回答受付中
いつもありがとうございます。
来る8月15日、お朝事で感話を勤めさせていただきます。
お話しする内容について…
あれも違う、これもだめ、というのが本音です。
日々、あの選択よりもこっち、この選択よりもあっち、と常に、あとからより良い道筋が見えてくる毎日です。
一向にたどり着かない境地で
お仕事させていただけるのは、
有難いことですし
どんなに頑張っても
追いつかない。
自分の非力さ
至らなさで一杯です。
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
内容だけに留まらず、発せられる言葉にも心地良さを感じますよ。
選択がいろいろあるということは、何気ない日常の中にあっても、心を揺らして感じたり味わったりしているからなのでしょうね。
揺らしている時は、それが何なのか、見えなかったり定まらなくて しんどくもありますが、そんな時は揺らされながら〜流されながら〜(あ〜こうであったのかと)時期が来たらストンと腑に落ちることもありますよ。
感じたままに、今はこのように縁を味わっていますと、素直な言葉で届けるのも自然じゃないかしら。
あなたの言葉は、内容だけに留まらず、発せられる言葉にも心地良さを感じます。
きっと、阿弥陀さまが微笑んで聞いてくださることでしょう。
8/15 私も自坊で歓喜会の法要を勤めます。
御本尊の前で、共にお念仏をよろこばせていただきましょうね。
質問者からのお礼
中田三恵さま
ありがとうございます。
歓喜会のお手伝いに、体がふたつあれば伺いたいほどです。合掌
一日の作業のほとんどを自由に任させていただいている分、後から「もっと良い方法があった」と自分の見込みの甘さ・弱さを反省する毎日です。
去年のお花たちと比べて格段に良くなった、というお褒めの言葉も、「自分にとっては…当たり前であり、まだまだ至らぬ点ばかり」と、評価がゴールではないことに満足しない自分がいます。
「あれもまだ、これもまだ」と夕暮れに沈み、「まずは、ルーティンからだよね」というお諭しに、更に深く撃沈し…
同僚は時々「褒められてるんだから…素直に喜んで良いのに」と笑って肩をぽんぽんしてくれます。
違う時は違うとお互いに全力で何度も口論し、相手が落ち込んだ時は全力で励まし、幸せな時は共に喜び、飾りも偽りもなく素顔でいられる、それが私の大切な同僚でもあり、お互いにサバイバーでもあり…
たくさんの職場を経て、あちらこちらに衝突をして、曲がれなかった自分の頑固さを見つめさせてくれる場所、それは千年先までも残るようにと、たくさんの人生の先輩方が静かにいらっしゃるほとりでした。
自分ひとりでは、たどり着けなかった有難い居場所です。
父と母が、そちらに伺えるかはまだまだ先のこと。
私は私のままではいけない。そんな厳しい毎日でもありますが、おかげさまで明日を迎えられそうです。
南無阿弥陀仏