生まれてこれなかった父の兄弟(いわゆる水子)
見つけてくださってありがとうございます。
私の父には,生まれてこれなかった兄弟が5人います。
私は人に見えないものが見えてしまう性質があり,小さい頃から父の生まれてこれなかった兄弟を祖父母の家に行った時に見ていました。
私が小さな時は,彼らに不思議で話しかけもせず,見て見ぬ振りをしていました。
しかし,私が高2のとき,色々あり,彼らと話し,初めて彼らの法要を行いました。
その当時,彼らは「いただきます」も言わずにお菓子を食べ,色々な悪さもしていましたが,今ではにこっとした笑顔でお菓子を食べています。(「いただきます」はできるようになりましたが,たまに忘れてそのまま食べてます)
しかし,彼らには悩みがあります。
彼らには固有の名前がないことです。
水子に名前をつけると天国で両親を思い出して悲しくなってしまうから名前をつけない,という風習?みたいなものがあり,祖父母は名前をつけていないようです。さらに,水子はこの世に生まれていないからお墓にいれていない,仏壇にも入れていないらしいです。そのため,私が高2のときまで,ずっと放置のような状態でした。
彼ら曰く「名前を呼ばれるのが羨ましい」とのことです。法要の時に紙位牌(私の家には仏壇がないことと,祖父母が彼らにあまり関心がない)を作ってもらい,「@@家水子」と一括りにされています。ですが,彼らは「〜君(ちゃん)」と呼ばれたいそうです。(最近ですが床に大の字に寝そべってバタバタ暴れ,泣きながら訴えてました)
私が名前をつけてしまったら,彼らは私に縛られてしまうような気もしますし,人に名前をつける重みから私は彼らに名前を付けられません。
また,父方の祖父母は彼らの存在(水子の有無)を認めながらも,彼らが見えないことと認知症のために,名前をつけるのは難しそうです。
どうすれば良いでしょうか。
彼ら自身,今まで無視され続けてきたため,寂しがっていて,「ぼくらを忘れてないよね!?」と目に見える形で我々に色々してほしいようにも感じます。
私自身も「彼ら」や「君」と言っているのにも違和感を感じます。
彼ら自身,悪い子ではないんです…。
私や家族を助けてくれたり(母と父が喧嘩した時には,彼らは「こいつ(父)は悪くない!」と父の加勢をしています),友達との楽しい話を聞かせてくれたりしてくれましたので…。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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亡き人を大切に想ってくれてありがとう。
そぅ、そんなことが。
あなたには、その存在がちゃんと届いているのね。不思議と納得してしまいました。
水子 って言うけれど、どんな命もちゃんと存在して、先祖なのよ。(その風習はちょっとよくわからないのだけれど)
お腹でちゃんと生きたのだから。戸籍として存在がないだけで、母なら忘れることがない命よ。
名前をつけるつけないは、人により違うだろうし。宗旨によっても供養の仕方はちがうだろうね。
ただ、私は浄土真宗ですが、水子と呼んだり、水子供養という扱いではなく、私の命に繋がる縁ある存在、仏縁を結んでくださった先祖として、大切に過去帳に記し、名前もつけます。
あなたの気持ち、嬉しいなと思うの。
亡き人を、大切に想ってくれてありがとう。
あなたの宗旨のお寺さまに、その気持ち打ち明けてみてはどうかしら。
質問者からのお礼
ありがとうございました。
自分の命に繋がる縁のある存在,仏縁を結んでくださった先祖…素敵な考えだと感じました。また,新しい視点で彼らを捉えられました。考えてみれば,あの子らは私のおじ・おばにあたるので,全く繋がりがないわけではないんですよね…。
色々なことが絡み合っていて複雑な問題になりかけていますが,おかげさまで,解決の糸口が見えました。
今すぐにはお寺に伺えませんが,できるだけ早く伺わせて頂こうと思います。
ありがとうございました。