神頼みってあるんでしょうか?
私の家ではほぼ毎朝仏壇にご飯をあげ、手を合わせます。大事な試験や大会等がある日はいわゆる神頼みをします。
その甲斐あってか分かりませんが、神頼みをした日の勝負事は大抵良い結果になります。(ならない時もありますが)
そこで質問です。神頼みってあるんですか?ご先祖様が力を貸してくれることってあるんですか?
些細な質問ですみません…
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
無いと思いますよ?
でも、ご祈祷は人の心を真っ直ぐにし、晴れやかにします。つまりメンタル的なコンディションを良い方向に持っていくわけです。だから人間は太古の昔から神頼みが好きなのですよ。神仏やご先祖さまが物理的に手を貸してくれるわけでは無いでしょうが、神仏やご先祖さまに謙虚になれる心がしなやかで丈夫な心を養います。
お祈りは洋の東西を問わず少なくとも千年単位、ひょっとしたら万年の単位でしています。織田信長でさえしました。それだけみんなやっていることに意味が無いわけがありません。
ついでに言わせていただくと、西洋のタロットカードのようなものは分かりませんが、東アジアの占いは古代中国の『易経』が本家本元です。
ところが、易経の神髄は「よく易を修する者は占わず」という所にあります。易経を極めると易をしないというのです。どういうことでしょう?
人間には問題の原因を短絡的に自分のせい、あいつのせいと、人の人格のせいにしてしまいがちな所があります。これを心理学的にも「根本的な帰属の誤り」と言います。
民衆のそのような様子をみて周の文王という人が、「客観的な外側の要因に目を付ける視点を養うツール」として作ったのが易という占いの始まりです。
そのため、占いを極めた人は内的なものも外的なものも、全ての要因を科学的に判断する姿勢が身につきます。そのため客寄せパンダの占いっぽい占いは必要なくなるという話ですね。
長きに渡って親しまれている昔の人の知恵は、やはり非科学的な見た目をしていてもちゃんと意味があるわけです。だからといって依存するのも間違いですが、人としてたくさんの引き出しを持てることは素晴らしいことです。神頼みと言うと言葉の印象が悪いですが、お祈りやご祈祷の習慣はぜひ続けていただきたいと思います。
頼むというのは他力、あなたの結果は自力
私は今朝からトイレの中で20分神頼みしました、腹痛は治りました、昼間に再度襲われました
神頼み、ということは貴方に全て任せました、私は見合った努力をしたわけではありませんが任せたので何とかしてください、ということですな。
頼んでるんですから、これは「他力」です。
あなたの試験や大会の結果がうまくいったのは貴方がそれまで自分自身で頑張ったからです、これがいわゆる「自力」です。
では私がトイレに籠っていたときに神頼みしたことは通じたでしょうか、いいえ、昼間に再度襲ってきた時点で通じていません。
多分神様寝てたんでしょうかね
なんにせよ「神頼み」をするということは結果がよくても悪くても文句言っちゃダメなわけです、任せてるんですもん、投げたんですもん
なので神頼みをするのは自力ではどうしようもないことだけ
そして大慈上人のおっしゃるように自分を整えるためです
じゃあ神頼みってのはどういうときにするのか、という一例を仏教で例えると
「阿弥陀さんは亡くなってから西方極楽浄土へ連れてってくれるって言うた! せやから任せた連れてってください!」、と
自分の力ではどうにもならないので「完全他力」ということで任せてるわけですね、これが神頼みみたいなものです
でも私は神頼みもあると思いますよ、神さんは結構しっかり悪さしても何しても見てくれてる思ってますので
でも貴方が努力したことを神様の功績にしてしまうなんて勿体無い、それは貴方自身の努力の結果ですので
なので貴方の試験や大会のことは貴方の「自力」です。