人間であることに違和感があるような者と話をして頂けます処は.
ネットにて、今、全く初めてこちらさまのご存在を存じ上げたばかりのところです。
「自己紹介」等の欄にお書きしました通り、私の中には、小学生の頃から、人間の傲慢さがどうにも許せない、ありえない、という思いが深く根を張っております。
このような感覚をもって、現世に人として生きていくことこそありえないわけで...
似通った感覚をお持ちの方がいらっしゃるのでは、と「引きこもり」の方たちの電話相談にはおかけしたことはあるのですが、私の話を一方的に聞いて頂くだけになってしまいました。
あまりにも恵まれた時代と環境に生まれ育った故の所産であることとは自覚しておりますが、この人間社会に長らえるには、自分の感覚を 鈍く鈍~く、何も感じないように... と、感性を抑え込むしかないようで...
現在、人類が いよいよ行き詰まっている、その大もとの根っこにあるものは、我々が、ほかの生き物たちを、日々、凄惨な生き地獄に突き落としている、その自覚さえなくなってしまっているという大問題であるとの思いが募っています。
ほかの生き物たちの激痛に思いをいたせない生き物の社会に、戦争がなくなるはずがない、とも学生時代から確信しています。
特に日本人は「わたしたち」という言葉には、あらゆる生きものたちを含む、という感覚が まだ残っていた(人が多かった)と思われますので、取り返しのつかないような焦燥感にも苛まれます。
西洋の、あのあまりにも人間中心の文化を思いますに..
(たかだか100世代も遡らない頃に)
[人間は他の生物とは隔絶した、超別格の存在である] という理論を、きっちりと美しく構築しなければ、さすがに後ろめたくて生きにくくなってきたのだろうか? 我々農耕民族とは違って... などと考えています。
実際に困っていることは、少しは現世と関わりを持つべく、細々と活動していることの中に、[感性を抑え込]んでしまっては成り立たないことが大いに生じることとでございます。
このような者(自分を含め 全ての人間に非礼かと思われますので..)と話をして頂けますような場などおありでしょうか?
不遜なことを申すようですが、「世捨て人」「すきもの」などと呼ばれていた方々の中には、私の感覚に近いお方もいらしたのでしょうか..? ということも、一度お尋ねしたいと思っておりました。
やはり12歳の頃、宿題に(戦争に関する本の感想文)『他の生きものたちが悲惨な巻き添えになることが許せない…』とも書いていました 根の深すぎるこの感覚には、その後は自ら強い麻酔を打ち続け、文字に表すこともなく何とかやり過ごしてきましたが、近年はその麻酔が全く効かなくなった思いです (この上なく有り難い時空に生まれ育った者故の、井の中の独り言であるとも承知のつもりですが、丸50年間抱えこんでいる大荷物です) 我々の肉体も源を辿れば全て土、宇宙の成分の一瞬の表れに過ぎないのに… 日々の排泄物すら、水に流せばハイお終い……… そも、火葬の灰、土に還れているのでしょうか?
数世代前までの我々なら「動物実験」そんな酷いことをしてまで人間だけが利益を得ようなど、まさか…! 家一軒、建てるだけでも阿鼻叫喚の図。 かわいい・いやされる、などと言える感覚も解りません、痛すぎて
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宜しければおっしゃって下さい
拝読させて頂きました。
あなたのおっしゃることわかります。
そうですね、人間が傲慢になり雪だるま式にエゴのかたまりのように他を圧しておりますよね。
私の住んでいます栃木県佐野市は田中正造翁の生まれて育ち活動していったところです。国と企業経営者によって作られた足尾銅山鉱毒によって周りの地域も含めて住民が多大な被害を受けて、山々ははげ山となり草木や生き物も沢山死んでいきました。そして廃村に追い込まれた村もあり、村人は追い出されました。
田中正造翁の言葉「真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」
本来の私達生きるものの生き方や文化文明のあり方は弱者の犠牲や生贄の上に成り立つものではありません。
あらゆる人々や生き物や自然と共存していくことですからね。
もう一つ「デンキ開けて世間暗夜となれり」
私達の文明の進歩により電気がついても本当の人心や社会や政治や世界は明るくはなっていないということですよね。
宜しければあなたの思いお考えもどうぞこの場所でも教えて下さい。また疑問もご提示なさって下さいね。
質問者からのお礼
早速にご回答いただきまして恐縮しています。
産業革命以降の人類は『真の文明』からは乖離の一途をたどっていると思われて仕方ありません。
東大寺の大仏建立の詔の中に『動植咸栄』という重たい文言があるそうですが、これはまさに
[人間だけが繁栄することは過ちである] と意訳させていただきたく思うものであります。
現実には殆ど不可能なことだとしても、人類が(この天体の一成員として)常に心に留めておくべきことを、繰り返し繰り返し、うったえ続けていく使命が、この日本にこそあるように思えてなりません。
『デンキ開けて...』との言葉は寡聞にして存じませんでしたが、所謂 “文明開化” なるものは、日本独自の「文化」の “退化” であったと、私もかねがね思っているところです。
(私の思いを)『この場所で...』とのお言葉、たいへん有り難いことです。
確認させて頂きたいのですが、その場合、昨日と同じく「お坊さんに質問する」というところにお書きしてよろしいのでしょうか ?
本当にありがとうございました。