必要のない人間はいない?
色々なことが個人的にあって、消えてしまいたいと思ったことも正直にあります。いろんなことを考え、調べてみて、どうしても答えの見つからないことがあります。
必要ない人間は、いない。それは、なぜそう言えるのですか。
私は、自分がいま必要のない人間だと思っていますし、実際自分はいなくても何の問題も起こらないと思っています。
そりゃこの世からいなくなれば家族が一人くらいは悲しむかもしれません。税金を納める人間が一人減るのはこの世からすれば少し困るのかもしれません。
そういうことを抜きにして考えたら、なぜ必要のない人間はいないと言い切れるのですか。
私は小さい頃から自分が生まれた意味を考えてきました。きっとあるんだと小さい頃はそれを信じて生きてきました。
ないです。いまだに見つかりませんし、生きている意味などないという意見も目にしたことがあります。生きることそのものが意味があるというなら、それはなぜ生きているかの意味だと思います。死なない理由ともいいますけど。
必要とされることがないまま、孤独のまま亡くなる人は自業自得なのですか。
犯罪を犯す人は必要のない人ですか。
人類に貢献するような行動をしている人が必要な人ですか。
必要ない人がいない、と言い切れる理由があるのなら、教えてほしいです。答えがわかるようなものでないのなら、そう考える道を教えてほしいです。必要ない人はいるのだとお考えでしたらどういう人なのか、知りたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
気楽に生きる
あなたがおっしゃっる必要のない人間はいないとは誰から聞いた言葉でしょう。確かに話しの脈絡としてそう言う事を言うお坊さんもいるかも知れません。
しかし、私はいのちは尊いと言います。お釈迦さまがお産まれになって直ぐにおっしゃった言葉は「天上天下唯我独尊」です。これは世の中の生きとし生ける人間は全て尊いと言う意味です。
何故いのちが尊いのか、例えば私たちには必ず両親がいます(生物学的と言う意味)、そしてその両親にはそれぞれ両親がいて更にその両親もいる訳です。20代遡るとそのご先祖の人数は100万人を超えます。そのご先祖のたった1人でも居なければ私はこの世にいのちをいただけなかったのです。これを尊いと言います。
さて、あなたは人生に意味を見出せないことを悩んでいるのでしょうか。私は必要とか不要とか考えるのは意味が無いと思います。
映画のね、男はつらいよってありますよね古いですけど。その中でね主人公のフーテンの寅さん(渥美清)が甥の満男君に人間は何のために生きてるかを聞く場面に答えて「人間生きてるとな、あー生きてて良かったって思うことが一生に何度かはあるんだよ。その為に生きてるんじゃないのかな」と。私はまさにその通りだと思います。
あなたにも日々の生活の中で、あー生きてて良かったって事が必ずあります。それを楽しみにして生きていたら良いのでは?
あまり堅苦しく考えずに気楽に生きましょうよ。合掌
必要ないです
必要にされたいと思うプライドの煩悩が、悩み苦しみストレスの原因になります。
誰からも必要とされなくても良いではありませんか。
難しく考えず、死ぬまで生きれば良いだけです。
「必要とされなければ生きる意味がない」という前提を破壊してみましょう。
そうなると、意外と逆に、平気で生きられるかもしれません。
ただ、あなたの体の細胞1個1個も単細胞生物のように1匹1匹が生きたがっているでしょうから、細胞達にとっては長生きして欲しいかもしれませんね。