大切にするべき事は何でしょうか?
お忙しい中申し訳ございませんが、私の悩みを聞いてください。
結婚して数年経ちました。不妊治療専門の病院へいっていますが、残念ながら授かれておりません。高度不妊治療へ進み、高額な治療費をつぎ込んできました。
旦那はとても理解があり、協力を求めることはすべてしてくれ、私の心が崩れそうになったとき手を差し伸べて支えてくれています。感謝しかないです。この人と結婚できてよかった、と2人でも幸せに生きていこう。と思う反面、子どもができたらもっと楽しいだろう、愛する旦那の子どもを産みたい、と強く思っています。
治療をする上で犠牲になっているものは主に時間とお金と、対人関係での信頼です。
不妊治療の病院には人が溢れ医師は少なく待ち時間も長い、通院回数も多い。休日が奪われることは問題無いです。
しかし、どうしても通院日の関係で、仕事と治療を選ばなければいけない場面があります。退職も考えましたが、子どもを授かった時、金銭面で苦労させたくないのです。また旦那にも不自由のない暮らしをしてほしいという思いがあります。仕事も治療もなんてわがままな考えだとは思っています。
お金はまた稼いだらいい、治療は一刻も早く、年齢が若い方がいい。それは知っています。でもまだ心の中でどちらもは難しいのか、と欲張りになってしまいます。
また自分の実家も、旦那の実家も今住んでいるところからは遠く、結婚当初は長期休暇を利用し帰省していました。しかし、ここ数年は治療を優先にして通院日が重なる危険があるためなかなか帰省できていません。どちらの親にも、治療について話せていないため自分の実家はまだしも、旦那方の両親からは随分な嫁だと思われてしまっていることが心配です。
また旦那のことを考えると治療優先な生活を果たして正解なのかと、日々悩みます。2人でも幸せです。でもいつか後悔したくないのです、治療できるのは年齢やいろいろ限度があるので今しかないと思う気持ちが優先してしまいます。
過ぎた時間は戻ってきません、でもそれと同じくらい旦那の人生や旦那の故郷の家族との信頼関係も失いたくないです、大切にしたいです。なにかを叶えるには失う覚悟が必要でしょうか。
乱文失礼しました、お言葉を頂けますと幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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あれもこれもはやはり難しいのかもしれません
ご相談拝読しました。
治療もお金も時間も対人関係もどれも大事だけれども、全部を大事にしようともがくながで、逆にそれぞれを大事に出来ていないような不安に駆られていらっしゃるのですね。
まず、不妊治療については愛する人との子を授かりたいと思う気持ちは自然のものであり、不妊治療はその気持ちをサポートしてくれる手段として積極的に利用することに基本的には問題はないと私は思います。
しかし高度不妊治療となると金銭的にも時間的にも心身の体力的にも相当の負担となるのは今ご実感されている通りなのでありましょう。
そうした様々な制限・限度があることですからまずは治療の優先順位を最高位とすることは賢明な判断であるとも思います。
ですがその中で自分が思う通りの経済力や人間関係を維持したいとするのはやはり無理な面も出てくるでしょう。
不妊治療が子は授かりものという前提があるように、対人関係も相手の気持ちは思うようにならないという前提があります。
こちらが思う様にする中での「(実家にあまり顔を出さずとも)随分な嫁だと思われたくない」というのは果たして信頼関係なのでしょうか。相手の気持ちは抜きにしたものになってしまってはいないでしょうか。
不妊治療という繊細な内容については、世代や個人によって理解度も異なるでしょうからどこまで話すかという問題もあります。
しかし何も語らないままで、でも相手側によく思われたいというのは難しいのではないでしょうか。
今は嫌われてでも治療に集中し、いつか話した時に理解してくれることを願うか、今から話して理解を得た上で治療に集中するか…これももちろんどちらの場合でも理解を得られるかどうかは相手の気持ちによります。
相手がどう思うかは相手に任せるというのも信頼関係です。
ご夫婦でよく話し合い、優先順位と自分たちの方針を明確にした上で、臨んでみませんか?治療については金銭的限度や時間的期限を設けるのも一つの手でしょう。後から後悔の無いようそれまでは全力で取り組める環境をまずは夫婦の話し合いから確立していきましょう。
質問者からのお礼
吉武文法さま、お忙しい中メッセージくださり、ありがとうございました。
何度も何度も読み返しております。
旦那と話し合うこと。当たり前のことですが、教えていただく前の自分では話し合えているんだと自負して気づいていなかったと思います。夫婦なので、私が考えていること分かってくれているだろう、言わなくてもいいだろう。とどこか思ってしまっていたのでしょうね。
旦那と話し合うことができ、よりお互いの気持ちを理解して2人でも方向性について決めることができました。
相手がどう思うかは相手に任せるのも信頼関係というお言葉も胸に響きました。相手の感情まで、自分が思うように思って欲しいとどこか望んでしまっていました。それは無理なこと、どう思われるのかは相手次第だ、と委ねることも必要だと思えました。
感謝いたします。私の生涯、大切にしたいお言葉にさせていただきます。また悩んだ時、お言葉をいただきたいと思います。こういう場所があって良かったです、ありがとうございました。